10年ぶりのもちつき大会 1月17日
ユリノキ / モクレン科の落葉高木。5月〜6月に高い梢の葉陰にチューリップ、あるいはユリのような黄緑色の花が咲くところからユリノキという名がついた。葉が着物の半天のようにみえるところからハンテンボクとも呼ばれる。明治7年頃、アメリカから渡来した。
▼団地の管理組合の仕事をはじめて1年になる。きっかけは、団地にBSデジタルの共聴アンテナを設置するよう提案したことだった。その頃、
IT委員会という部会が団地内にでき、将来のIT化をどうするか、活発な議論が始まっていた。私もその会に参加することになった。
▼メンバーの年齢は50代半ば。皆、これまで仕事一筋でやってきた企業人である。IT部会という名の通り、それぞれがコンピュータや通信、放送に精通している。毎週集まり、230世帯あまりの住民のための説明会をしたりアンケートをとる作業に明け暮れ、昨年、無事、工事が終わった。わが団地は地上デジタルの準備もでき、一挙にフルデジタルマンションとしてその価値を上げ、周りの団地がこれに続いて動き出した。
▼IT委員会で皆の牽引役としてフル稼働したのがAさん。そのパワフルでねばり強い仕事の進め方には目を見張るものがあった。説明会では取っつきにくいシステムの話をパワーポイントを駆使して実に巧みに住民の一人一人に丁寧に伝えた。大手のITメーカーで通信分野のエキスパートとして中国の次世代通信システムプランを立てる総責任者である。そのAさんを理事長として今年度の管理組合が動き出した。私は広報担当理事として、好きな会報作りを中心に理事長を補佐している。
▼管理組合の活動をはじめて半年がたち、大切なものは団地住民の繋がり、コミュニケーションだということに明確な意識が働くようになっている。それは、現場の仕事が忙しかった30歳代に一番、なおざりにしてきたものだった。昨年、父のことで郷里との往復の日々、実家の近所の皆さんに父や母がずいぶん助けられていることを知り、その思いをあつくした。遅ればせながら、面倒くさがって近所づきあいのすべてを妻にまかっせきりだった日々を後悔している。
▼「もちつき大会、どうなった?」理事長が聞いた。職場ではどんなこともまず「やりましょう。」と言って自分を追い込むことにしているが、この「もちつき大会」企画には躊躇した。理事会で、「ぜひやろう!」と話が出て以来、気になり、実は、年末に隣の団地のもちつき大会をこっそり見に行ったのだが、あまりの大変さに怖じ気づいていた。10年前、この団地でも一度だけ、もちつき大会が開かれた。おそらく、阪神大震災の惨事を見た当時の管理組合がコミュニケーションの大切さを掲げ、始めたのだろうがその一回で途絶えた。毎年続けるには大変なエネルギーが必要だったのだろう。「今年はほかにもいろいろ有るから無理だね。」他の理事と目配せしてほって置こうと思いかけていた。しかし、理事長は忘れていなかった。
「やりましょう!」といったら引かない。そのエネルギーに押されるようにして、準備ははじまった。
▼1月15日、あいにくの小雨だっため、急遽、場所をエレベーター前のロビーに移し、もちつきは始まった。この10年あまり地域活動のために奔走してきた「父親の会」の男達が威勢良く餅をついた。つきあがった餅を女達がこね、きな粉、あんこ、包装をテキパキと作業を進める。ロビー内は湯気たちこめる熱気でムンムンした。最初はおっかなびっくりで杵を持った子供達もすっか悦に入っている・・・・
▼次の日、管理人のMさんが話してくれた。「大会が終わった後、近くの団地の管理人の仲間にもちを持っていったら“これはプロがついたのか”と言われたよ。うれしかった。」Mさんの幼い頃の思い出は親戚一同集まっての餅つき、19歳で郷里を離れて、40年ぶりの餅つきだった。「もちつきをやろうという話が持ち上がった時、不覚にも浮き浮きしてしまったよ。」
この1年でMさんとも親しく話ができるようになったことがうれしい。
▼1月17日、阪神大震災から10年、5夜にわたって放送されたNHKスペシャル。被災地の人々を追ったドキュメンタリーのクライマックスに、どの番組にも皆で餅つく風景が映し出される。もちつく人々のクローズアップが素直に胸に迫った。
▼広報係として掲示板に貼りだす最新ポスター。「生活者として何が大切なのか1年間考えてみませんか」 次期役員募集がまもなくはじまる。
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