T/Kさんからのメール 題名「ツーソン」                              2月16

▼今、こうして陽のあたる病院の真っ白なベッドに寝ていると、ツーソンのことを思い出す。大けがをして、まったく動けないと、あの砂漠の真ん中の小さな家のことを思い出す。あのときは私もまだ、若かった。今は、七十五歳。あのときだって、今より五歳しか若くはなかったけれど、なにもかも遠くにいってしまったように思える。

▼なんで、あのとき、あんなに慌てて、椅子になんか乗って、棚の上のものを取ろうとしたのだろう。古い椅子で、座っているときからぐらぐらするからいつも気をつけていたのに。落ちたとき、できるだけ体を丸めたけれど、それがかえっていけなかったのかも知れない。たぶん椅子の背で腰を強く打ったのだろう。救急車で、ここに運ばれて、腰椎の圧迫骨折と診断された。

▼おばあちゃん、どうですか、と看護師が笑いかけてくる。ちゃんとご飯、食べなきゃ駄目よ。寝たきりで、首もあげることができず、ストローでみそ汁を啜り上げて、おにぎりを天井を見上げながら食べる。少しでも回復したいから。でも、皿に盛られた野菜炒めなんか、いったいどうやって食べろというのだろう。看護師の、この話し方。今日は、顔色がいいわね。上から見下ろして言っている。私は赤ちゃんじゃない。今度、家の鍵を持ってきてもらおう。そうしたら、たとえ這ってでも、いざというときは、病院を抜け出せる。トイレにも行けず、寝たきりで、プライドを持ち続けることが、こんなにも難しいことだったなんて、思いもしなかった。「どうもありがとうございます。すみませんね」と隣の人が看護師に言う声が聞こえる。私は、すみませんとだけは、絶対に言わないようにしよう。

▼窓の外に、冬が近づいてきている。子どもの声が聞こえるけど、今は、空しか見ることができない。それと今にも落ちそうな、茶色になってしまった何かの葉っぱ。細かく揺れているから、風が強い。昨日、お見舞いに来てくれた友だちが、公会堂の目の前よ、と教えてくれた。意外と家の近く。よく知っている場所の前にいるというだけで、少し、ほっとした。ここに運ばれてきたときには、痛くてずっと目をつぶっていた。取り返しのつかないことをしてしまったとばかり思っていた。もう、どこに運ばれようと、そんなことは、どうでもいい。歩けなくなって、ずっとそのまま死ぬのだと思った。もし歩けるようになっても、腰がまがり、よろよろと歩くなら、もう一歩も家から出たくない。

▼ツーソンの砂漠は、きらきらしていた。たった5年前のことだなんて信じられない。娘の子どもの世話をするために、三年間、ツーソンで暮らした。よちよちしていた孫が、庭の芝生を走り回るようになった。芝は、手入れが行きとどいていて、青々としていた。柵の向こうには乾ききった広大な大地が見えた。かさかさと音をたてる棘だらけの小さな灌木の固まりが、丸い玉が転がるように転々と、岩砂漠の先の方まで続いていた。それと、サボテン。朝早く、庭に出ると、空気は冷たく、すがすがしい水の匂いが、どこからか風に吹き付けられてきた。不思議なことに、ほんとうに、水を感じた。芝はしっとりとして、砂漠の向こうの空が、次第に薄桃色に染まっていく。サボテンのひょろひょろと伸びた先の丸まった枝が、青いシルエットで浮かび上がっていた。何の音もしなかった。耳が、じーんとして、自分の体の中の音なのか、砂漠の砂が流れている音なのか、分からなかった。大学の頃だったと思う。トルストイの「猟人日記」の中に、旅人が深い森の中で野宿をする話があった。焚き火を囲む猟師たちの会話が途絶え、ぱちぱちとはぜる枯れ枝の音しか聞こえない。そのとき暗い森の奥から、しんしんとした忍び寄るような音が聞こえてきたという。皆は、あたりを見回し、そっと首をすくめた。

▼でも、それは音じゃなかったんだと思う。音ではないなにか。遠いなにか。私も、いつかロシアの深い森の前に立って耳を澄ましてみたかった。必ず行けるだろうと、あたりまえのように思っていた。そのときは自分だけの人生が、どこまでも広がっているような気がしていた。

▼つややかな芝に立って、柵の向こうを見つめていた。白く輝き始めた空から、風が静かに吹き付けていた。肌に、これから始まる砂漠の、あの、どうしょうもないほど乾いた熱の予感がした。

▼そのとき微かな音に気がついた。初めは、不思議な摩れるような音だった。それから激しい音になった。ザーッという音。いっぱいの水が落ちるような。砂が一度に崩れるような。

▼大きなサボテンだった。何十年も生きてきた、ごつごつとした皺だらけの体を支えきれずに耐えきれなくなって、ゆっくりと倒れていったのだ。誰もいない砂漠で。それを私が見ていた。空は白く輝いていた。砂漠に、何本ものサボテンが、丸い腕を伸ばして立っていた。
▼ツーソンに、また、私が立っているとしたら。朝のしっとりと濡れた芝に、しっかり立って、サボテンの立つ砂漠を見ていたら。あのとサボテンは、祝福してくれたのだと思う。静かに耐えて、ぎりぎりで倒れていった。私だけが砂漠の中で、それを見ていた。

☆☆☆ 「夢の誠文堂 店主」より ☆☆☆

 朝方、震度4という激しい震動に思わず跳ね起きた。家長が一人、慌てて動き回っているのに、家族は泰然として、揺れがおさまると、再び、寝息を立てはじめる。眠れなくなった私は、取り残されたような気分になって、所在なくパソコンのスイッチを入れる。そこにT・Kさんからのメールが届いていた。そこに添えられていた、アメリカ合衆国ツーソンの砂漠地帯に思いを馳せた小品が、地震の直後、取り残されちまった私の心にに素直に染み込み、私は一読者として、Kさんの砂漠の中に入っていく。Kさんからの小品は、これからも心の間隙を縫うように、寄せられるだろう。そんな予感とともに、このHPを訪問してくれたKさんのために、わたしの手は「福寿草」の写真を引っ張り出し、文章の間に貼り付けていく。いつか、サボテンの花が撮れたらそれに差し替えることにして、この夜明け前の静寂の中、黄色い光線を放つ早春の花を添えておくことにしよう。                  

                      2005年2月16日