思いのまま2005   3月22

思いの儘/咲き分けの梅。開花期は2月上旬〜3月中旬。花色は淡紅色、紅色、絞り、白と1つの枝の中にも色々な花を正に「思いの儘」に咲き分ける。花は八重咲きの中輪。

▼“思いのまま”に紅白咲き分ける八重咲きの梅。一年前に写真を載せると、何通かの問い合わせがあった。中には、苗木を買ってきて庭に植えたと言う人もいた。一本の木に紅白、きままに咲く花群れを見ていると、不思議に落ち着く、という感想を送ってくれた人もいた。最近のうれしい便りは、「“思いのまま”というタイトルでホームページをはじめようと検索していると、貴方の撮った写真が引っかかってきた。それを私のホームページにぜひ掲載したい。」というHさんからのもの。手持ちで勝手気ままに撮っている素人写真にこうした声を寄せくれる人がいること、感謝しなければならない。
▼さて、Hさんに、きょうはもう一つの“思いのまま”を紹介したい。私の郷里、山口県の鋳銭司という里に両足寺という山寺がある。その境内に樹齢300年の二本の椿の老木があります。その椿は「五色八重散椿(ごしきやえちりつばき)」という。最初は単色だったが、いつの頃からか一本の樹に紅、桃、白、桃地に紅や白の絞り、白地に紅や桃の絞りなど花々が五色に咲き分けるようになったという。
椿は普通、ボタッと首から落ちるが、この五色八重散椿の花は山茶花のように一枚一枚散っていく・・・・。
つい先日、撮影した、写真を掲載します。



▼昨年の春、職場の後輩から薦められてフランスでベストセラーになっている寓話「茶色の朝」(フランク・パブロフ著 大月書店 )を読んだ。気がつけば全てが茶色に染まっていく、不気味な物語だ。茶色以外の猫、茶色以外の犬の排除、「茶色新報」以外の新聞の発行禁止、「茶色ラジオ」以外のラジオの放送禁止・・・と言った具合に、「茶色」以外のものが次々と排除され、「茶色」以外のものは存在することが許されない世界が出来上がっていく。そして、「茶色い朝」さえも・・・・。
▼さりげなく始まる、その短い寓話を読み終えると、それが現実味を帯びて迫っているのではないかと考えさせられるから怖い。
▼日々の暮らしの中で、一つ一つの事柄を自分で考え判断することなく、やりすごしていることがいかに多いことか。違う、と思ったことを上司や同僚に気兼ねすることなく「NO」ということがいかに少なくなったことか、そうして何も自分で判断せずに「仕方ない」とやり過ごしてしまうことがいかに多くなったことか。
▼借りた本には作者のフランク・パブロフ氏(59歳)のインタビュー記事が挟まれていた。
「フランスの1998年の統一地方選で右派が勝つために極右勢力の票を当てにして手を結ぼうとした。自分と価値観が違うのであれば絶対ノンと言わないといけない。民主主義は壊れやすいもの。花瓶がある日少しだけ欠けたとする。ほっておけば次の日もちょっと欠ける。まあいいかと思っているといつの間にか割れてしまう。」
 「ともすると民主主義はもともと存在するものと勘違いしてしまう。しかし、過去に勝ち取った民主主義は、毎朝起きたら守っていこうと気をつけ、時に行動しないといけない。それを言いたかった。」


▼隣が赤なら赤に合わせておけばいいのに、わざわざ白い花にする。天の邪鬼だな、偏屈だな、といわれても思いのままに自分の色を選ぶ。そんな精神の潔さにあこがれる。だから、梅や椿の“思いのまま”にはっとするときめきを覚えるのだろう。


 そういいながら、今日も上司の前で、思わず「イエス」と言ってしまう鼻持ちならない自分がいる。


                      2005年3月22日