粋な遊び 2005年4月9日
▼人気のない冬の公園で深い年輪の亀裂を晒していた桜の老樹が、一世一代の気力を振り絞る時が来た。人恋しい孤樹の思いが一気に吹き出したその花森に、今年も大勢の人が引き寄せられて宴を開く。
▼冬の孤樹を知る者は、その懸命に咲かせた花雲になぜか哀しい切実さを感じる。それは盆や正月に孫を連れて帰郷する子を待ちわびる弧老の姿と重ねあう。
▼今年の早春は、暖かくなったと思えば次の日は真冬のような冷気に襲われた。そんな気まぐれな天候の繰り返しの中で、弧樹はいらいらじらされた。そして、今週、ここぞとばかりに一気に咲き、あっという間に満開にしてみせた。
▼年に一度、弧樹を振り向く人々が、青いビニールを敷き詰めて、思い思いの宴会をはじめる。故郷に帰ってきた子供らが、待ちわびていた親のことなどお構いなしに、勝手気ままに実家で騒いで、あっという間に去っていく、そんな風景と、なぜか今年は重ね合わせて見たくなる。あまりにもあわただしく騒然とした宴の中、敷き詰められたビニールに反射する光に青く照らされて、それでもうれしそうに花雲をいっぱいに広げている弧樹の遠景が、なんだか切なく揺らいでいる。
▼ 桜 萩原朔太郎
桜の下に人あまたつどひ居ぬ なにをして遊ぶならむ
われも桜の木の下に立ちてみたけれど わが心はつめたくして
花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ いとほしや いま春の日のまひるどき
あながちにかなしきものをみつめたる我にしもあらぬを
▼ 騒然とした人混みの中からオレンジ色のボールが花雲の中に投げ込まれるのを見た。
それが夜空に打ち上げられる花火のように華やかに見え思わずシャッターを切った。
ボールが下界に消えると、
黄色い喚声がわき起こる。
しばらくして、再び、ボールは天空の花雲の中に投げ入れられた。
その遠景に少しだけ近づいた。
望遠レンズの焦点を合わせて、 ようやくそのボールの訳を知った。
▼どこまでも広がる花雲の中に向かって、少年は思いっきりボールを投げいれる。天に届いた熱球は、満開の花園を大きく揺さぶる。
▼無数の花弁がざわめきながら、地平に舞い落ちる。
▼その時私は初めて、“遊び”の仕掛け知った。球を投げた少年は二人の少女とともに掌の広げて、天から降り注ぐ花弁の一枚一枚を懸命に掬い取る。その至福の表情が陽光に照らされて浮かびあがった。なんと愛おしい風景だろう。
▼しばらく時間を忘れて、この“粋な遊び”に目を奪われた。
▼腕を大きく広げて一世一代の花を咲かせる公園一の老木に向かって投げられる黄色い球。孫達にくすぐられた弧樹はお礼にたくさんの花弁を投げ返す。
弧樹と孫達の心地よい交換が何度も何度も飽きることなく繰り返される。
そののどかなキャッチボールのリズムに乗せられて、こちらもしだいに春の中に溶けていく・・・・・。
おぼえているかいあの春を・・・サトウハチロー
さざなみが
小川の岸まで ぼかしてた
おぼえているかい あの春を
ちいさい蟹が 二匹でね
はさみで別れを つげていた
おぼえているかい あの春を・・・・・
ゆびきりの
小指がさびしさ ぼかしてた
おぼえているかい あの春を
ちいさい顔の 蛙がね
下からぼくらを 見上げてた
おぼえているかい あの春を・・・・・
たんぽぽの
わた毛がひぐれを ぼかしてた
おぼえているかい あの春を
ちいさい風が 泪をね
なんどもくすぐり 吹いていた
おぼえているかい あの春を・・・・・
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