首相とエビフライ   2005年7月5日

コエビソウ(小海老草)/キツネノマゴ科ジャスティシア属(コエビソウ属)  別名ベロペロネ/シュリンププランツ。 原産地はメキシコ。 赤褐色や黄褐色の花のように見える重なりあった苞(花柄のすぐ下にある、葉の変形したもの)の色と形がエビを連想させるため、この名がある。日光によく当てると、花色が鮮やかになる。
 苞の間から出ている小さな唇形をした白いものが花。花の下唇には紫色の班がある。常緑なので鉢植えの観葉植物としてや、長期に花(苞)が咲くので切り花としても珍重される熱帯性植物。花言葉は友情。

▼初夏、ふと「独活」をおいしく食べたいと思い立ち、書棚から本を取り出した。「もてなしの心」(野地秩嘉著 PHP出版)、赤坂にある一流割烹「津やま」の主人、鈴木正夫氏が自らの修業時代を振り返りながら、家庭料理の作り方までをも惜しみなく披露した快作である。作者が、6年間通い詰めて鈴木氏の話を聞き書き取ったものだ。
▼「津やま」は芸妓さんの行き交う赤坂の路地にある懐かしい風情の店である。夕方、店の前の路地では若い板前が炭火で、筍や鮎、鱧の皮を焼いている。数ヶ月前、知人との待ち合わせ場所に指定されはじめて暖簾をくぐった。「これがあの“津やま”か」と思った。想像していたよりずっとざっくばらんで家庭的な雰囲気のある、気さくな店だった。この一見するとごく普通の店には実に多様な政財界、芸能界の人々が出入りしている。その蒼々たるメンバーからして、我々、庶民には敷居の高い店かと想像していたが、気持ちよく裏切られた。出てくる料理はそのどれもが家庭的で懐かしく、気取ったところがない。肩からすーっと力が抜けるようで心地よかった。この時、主人の鈴木氏とお話する機会があり、この「もてなしの心」という本の存在を知った。本の中では、その食材選びから調理の秘訣までが軽やかに披露されるが、全てが鈴木氏の「シンプルな創造」という思想に束ねられている。少ない種類の食材を、シンプルなだしを使って、一気に作りあげる。「沢煮椀」「あさりご飯」「焼き飯と冬瓜のスープ」「里芋煮」「白和え」「筍の土佐煮」・・・そして名物の「鯛茶漬け」まで、その「だしあわせ一覧表」も添えて、披露される。どれも、一度、自分の手で食卓に並べてみたくなるくらい易しく手ほどかれている。
▼「津やま」を一躍、有名にしたのは、その常連客の中に小泉首相が名を連ねていることが大きい。「もてなしの心」の中にはその出会いのエピソードが綴られている。

 『◆ 魚の食べ方   
 あの人が来た時、いったい何をやっている人かなと不思議だった。「福田(元首相)先生が一度、行ってこいというので」と呟いて、カウンターに座ったのがあの人でした。議員バッジをせずにノーネクタイだったから、最初は秘書さんかなと思った。焼き魚とご飯と味噌汁を出したら、うまいうまいと食べて帰っていきました。それが小泉さんです。
 まだ議員一年生で、結婚する前でした。その後、うちによく来るようになりましたが、小泉さんはいつも一人でやってきて、コップ酒を2〜3杯飲みながら、食事をしていく。
 高級なものを注文したことはありません。鰯、鰺、納豆、こんにゃく・・・・・、若い時からそんなものばかり食べていた。私はなぜかあの人が好きになっちゃって。あの人が来るのを楽しみにしている自分に驚いたこともある。

 小泉さんは魚の食べ方が上手なんだ。
 すごくきれいに食べる。皿の上に残るのは骨だけ。そういう人はなかなかいないよ。それに、もうひとつ。あの人はいつも明るい。離婚した時も、総裁選で二度目に落ちた時も、つらそうな顔をしたのを見たことはない。それが総理大臣になっちゃったでしょう。うれしいというより、最初は心配だった。なんやかんやで激務だから身体が心配だった。・・・』
                                   (「もてなしの心」より)

▼ このくだりを読んだとき、小泉旋風が列島に吹き荒れた頃のことを思う。魚の食べ方がうまく、飯を食うときは、ぐずぐず愚痴や仕事のことは言わない。目の前に並べられた品々のことに興味を集中させ、その話題を爽快に語り、大いに食べる。そんな豪放磊落な男の風情に、世の女性を中心にころりと参った。「私が何を出してもうまいんだか、まずいんだか、結局、食べることに興味ないんじゃないの。」 そんな妻達にとって、男気のある好奇心の持ち主の小泉首相は理想だったにちがいない。

▼ 熱風と共に小泉政権がスタートして4年。「独活」のことを思い「もてなしの心」を引っ張りだした次の日、郵政民営化法案が5票という僅差で衆議院を通過した。そのきわどい可決の瞬間、首相の安堵の表情がクローズアップでテレビ画面に映し出された。その笑みを観ながら、「もてなしの心」に書かれてあったもう一つのエピソードが浮かんだ。
 『◆ 伊勢海老のフライ  
 あの人、横須賀が地元でしょう。時々、伊勢海老の大きいのをもらってくる。すると、それをうちに持ってきて、「フライにしてくれ」と言うんだ。
 「伊勢海老のフライは横須賀の郷土料理」だとあの人は強調するけど、それ、ほんとかねえ。私は仕方なく、立派な伊勢海老をフライにするんだが、しかし、どう考えてももったいない・・・・。
 「これ、茹でて食べようよ」と呟いてみた。それでも納得しない。「いやいや、おやじ、伊勢海老はフライが一番だ」という。
 そう、あの人は頑固。一度、信じ込んだら、意見を変えない。だから、政治家として立派になったのかもしれない。・・・・』      (「もてなしの心」より)


▼ 新鮮な伊勢海老を前に、これをフライにするのはもったいない、その鮮度を生かして茹でて食べたほうがいい、食材に触発されて自在に発想を変える主人の「シンプルな創造力」。その前に立ちはだかる、「海老はフライ」という頑固な主張。二人の間を走った気まずい一瞬を想像するのは、意地悪いかもしれないが、ちょっと愉快だ。結局、主人が折れて、目の前にフライになった伊勢海老が差し出される。その時、首相が見せる笑顔は、今日、国会で見た笑顔と同じかも知れない。
▼なぜ、首相がそんなにエビフライにこだわるのか、わからない。かつて、この「津やま」でおいしいエビフライを食べて、「俺の郷里の伊勢海老をここでエビフライにしてみよう。」と堅く決心したのかもしれない。 それがいつの間にか、「海老はフライ」という信念にすり替わっていったのか。だとしたら、そろそろ主人の言うように、その時々の伊勢海老の風情によっては、茹でて平らげる度量を見せてもいい。 
 今、首相は、目の前にいる料理人の言葉に真摯に耳を傾ける必要があるのかもしれない。
 

「おいしいものを作ってるからってそこが必ずしも一流の店じゃない。段取りがきちんとしている店が一流です。そして、仕事の段取りが明らかにわかるのが掃除なんだ。掃除をおろそかにして何でもかんでも捨てちまう奴は私は二流、いや三流の料理人だと思う。」
                       (鈴木正夫「もてなしの心」より)

                      2005年7月5日