2005年8月6日    朝のダリア     

8時すぎでした。外でお父さんが私を呼びました。私が外に出ると、「空へ雲が、わいたでえ、おかしいのう」と言って空を見ていました。晴れた空に雲が、ひとつ浮かんでいて、それは、だんだん大きくなってきて、やがて、三つに分かれると、ゆっくり落ちてきます。二人が不思議な雲を見ていると、空が<パッ!!>と光りました。
 太陽以上の光でした。射すような光でした。「光ったのう」 お父さんが言ったときです。<ドン!!>と地面をゆらす音がして、向かいの山と山の間に入道雲が湧き出てきて、しばらくすると風がひとすじ波のように押し寄せました。「爆弾だ」と思いました。(森本マリア、8月6日より>

▼約束のように毎年8月6日の朝はむせかえるように暑い。広島は、今年も炎天下、街中が墓地となる。終戦60年目の平和記念式典、今年、最も印象に残ったのは、男女の小学生による「平和の誓い」だ。
 「戦争は人間の仕業です。」 透き通る様な声がいきなり天から突き刺さるように響き渡った。元川小学校6年生の岩田雅之君は一呼吸おいて続ける。
 「 戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです。過去を振り返ることは将来への責任を担うことです。ヒロシマを考えることは核戦争を拒否することです。ヒロシマを考えることは平和に対しての責任を取ることです。」
 これは1981年2月、前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が原爆死没者慰霊碑の前で世界に発信したメッセージである。今年亡くなった法王の言葉が凛と透き通る若い声をなった響き渡るその瞬間に、会場に緊張感が走るのを感じた。黒谷栞さんと岩田雅之君は、堂々と語り、最後をこう締めくくった。「…私たちは被爆者の人たちの願いを引き継いでいきます。私たちは核兵器の恐ろしさを世界中の人々に訴え続けます。私たちはヒロシマを語りつづけます。」
 今年の市長の平和宣言も、その最後、原爆被爆者慰霊碑に刻まれている言葉で謙虚に締めくくられた。「・・・安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」
毎年、8月6日の朝、私たちはなぜ、平和式典の中継映像に目を凝らすのか。それは、この炎天下に集う無言の群衆から、ある堅い決意と覚悟を授かるからだと思う。なにがあっても、謙虚に生き抜こうという覚悟。



▼夕方、中高年テニスクラブのコーチが汗を流し終えた後、こんな話を披露した。「私の母は戦時中、九州の八幡製鉄所で働いていました。アメリカは原爆を落とす候補地として、九州の小倉もあげていたそうです。もし、原爆が広島ではなく小倉に落とされていたら、母は亡くなり、したがって私もいない。こうしてテニスやって汗流していることもないわけで、そう考えると、毎年、8月6日は複雑な気持ちになります。」そういって、コーチはグループの輪を解いた。それぞれの時間でそれぞれが
“生かされている”ことを確認しながら、暑い夏の一日が暮れていく。

その朝の光を心一杯に集めた君の庭のダリアに 
「さあ、行ってきなさい」と肩を押されて
僕は重い木戸を押し開ける。
 烈しい灼熱を思いのままに受け止めた、その朝のダリアを永遠に忘れぬために、一呼吸置いた後、僕は一気に君の家を飛び出した。 (凡百 8月6日)    

 

                      2005年8月6日