あの橋の下
2005年8月7日
アベリア AbeliaXgrandiflora
スイカズラ科ツクバネウツギ(アベリア)属
和名は、ハナゾノツクバネウツギ。スイカズラ科の常緑広葉低木。7月から霜の降りるころまで、小さな淡桃白色の花が咲き続ける。
キネンシスとウニフローラという2種の交配によって人為的につくられた植物。
花言葉は、謙譲・強運
▼平和の式典が去り、全国各地から集まってきた人々が帰っていったあの街で、次の日の朝もその女(ひと)はいつものように、あの橋の下にやってきて、いつものように、アベリアの白い花園の前に立ち、静かに小さな溜息を一つ落として歩き去っていくにちがいない。20年前、ごく普通に、何ごともなかったかのように、彼女は夫の故郷に2人の子供達を連れてやってきて,家を借り暮らし始めた。その日から毎日、あの橋の下を通って、街を一回りする散歩を欠かせない。
▼突然の夫の死後、夫の遺骨を故郷の両親の墓に納め、約束のように東京の家を売り払い夫の故郷に移り住んだ。その日以来、夫の両親が被爆して消え去ったあの橋を回る朝の散歩を続けている。
▼街が壊滅しても、陽は何事もなかったかのように東から昇り西に沈んでいく。そして毎日、“8時15分”は途絶えることなく訪れ過ぎてゆき、次の日にまたやってくる。そのいくつかが重ね過ぎた後、彼女はその時刻をその橋の下で迎えることになった。
▼あれほど仕事に没頭し家族を顧みなかった夫は、突然、倒れ病床に入ってから、故郷のことばかりを話すようになった。・・・・あの日は月曜日だった。週末、疎開先から久しぶりに帰宅し、実家で母の心づくしの手料理を食べ、病床の父と話をし、慣れ親しんだ通りを駆け回って遊んだ。月曜日の早朝、再び郊外に戻る時間になっても、家を出る気がしなかった。
「頭が痛い。」「寝ている。」とぐずぐずしていると、あの穏やかな母が声を荒げて叱りつけた。それに驚いて、通りに飛び出し家を後にした。家を出るとき、寝床の父を振り返った。父はにっこり笑って布団からゆっくり手を出し振ってみせた。あの時、母に背中を押されなければ、今自分はここにいないだろう。・・・・・夫は同じ話を何度も何度も繰り返した。
▼会社勤めになってから夫は異常なほど仕事に没頭した。たまの休日も会社の資料を家に持ち込み、机に向かった。その横で私は一人で、2人の子供を育てあげた、という自負がある。子供達が学校に通い始め、手がかからなくなるのと合わせるように、夫の単身赴任が始まり、家族との対話はますますなくなった。そして、夫は突然、難病に倒れた。10何年ぶりに家に還ってきた夫は、混濁する意識の中でひたすら父と母と過ごした故郷の日々のことを語り続けた。目の前の妻や子供達のことを語らない夫を、憎らしく思う瞬間もあったが、やがて「この人はあの朝、家を出て以来、いまだ彷徨っているのだ。」と思うようになった。
▼夫が亡くなった次の春、その女(ひと)は、当たり前のように子供達を連れ、夫の故郷の街に移り住んだ。長男が丁度、あの年の夫と同じ年であった。子供達は毎朝、その橋を渡って学校に通った。二人とも夫が通った小学校を卒業し、通っていたであろう中学校、高校に通い社会に巣立っていった。毎朝、子供達を送って、その橋を越えた。駆けていく子供達の後ろ姿に遠い昔の夫の姿を想像した。
▼毎日、子供たちを送り出し仕事に出かけ、帰って夕食をつくり子供達と語らい、一日を淡々と終える。その、身の丈にあった普通の生活に誇りを持っている。このごくありふれた静かな暮らしを守り抜くことが、夫や夫の両親への自分ができる最大の供養だと思っている。・・・・・
▼あの橋の下で、そんな話を聞いて、もう8年がたつ。被爆60年、平和コンサートに沸いた興奮が嵐のように過ぎ去った後も、彼女はきっと、その橋に向かって毎朝の散歩を続けているにちがいない。そして、めざす橋には、アベリアの白い花が今年も咲き誇っていることだろう。
|