混沌
2005年9月12日
秋海堂(しゅうかいどう) Begonia evansiana
シュウカイドウ科シュウカイドウ属
ベゴニアの仲間。
中国原産の多年草,,漢名は秋海棠。江戸時代の寛永年間に渡来した。強い日照は好まず、半日陰のやや湿り気のある場所で栽培される。地下に塊茎があり、毎年この塊茎から地上茎をだす。葉は左右不対称で長さ15cmほど。秋にピンク色の可憐な花を咲かせる。花言葉は、恋の悩み、片思い
▼秋海棠は複雑な花をつける。茎の上の方にいくと、茎はいくつもに分かれやがて赤色の花がいくつも咲いて垂れ下がっている。その花には雄花と雌花があり、それらが無秩序に入り交じる。雄花は花の真ん中に黄色い葯(やく)を球形に集めた雄蕊(ゆうずい)がある。一方、雌花は花の下に三つの翼のある子房がついている。昔、ある女が恋をし思い焦がれたがその恋は成就しなかった。悲しみに暮れて泣き濡れた、その涙が地に注ぎ、ついにこの花を生んだ、という言い伝えが中国にある。雄と雌が複雑に入り組んで咲く無秩序、左右不対称な風情は、そのまま一筋縄にはいかないこの世の性をあらわして居るようで趣深い。
▼左右不対称、混沌の世界を見せてくれる秋海棠を眺めていると、物事を不用意に整理しない方がいい、などという想いがわき起こる。この世のあらゆる現象は一つ一つの動機は単純なのだろうが、それらが無数に重なり合うと、実に予測不可能な複雑な動きを始める。それらは読み解きがたい。それを無理に簡単に読みとろうとすると、事の真相を見抜けないことがある。まず、目の前の混沌、プロセスをあじあうことから始めたい。
▼インターネットの世界で知り合った男女が悩んでいる。短い活字の上での趣味の一致、キーワードの上では意気投合し弾んだ会話があったはずの男女が、つきあい始めると泥沼の関係に陥り、殺意までを巻き起こし事件に発展する、そんな記事が毎日のように報じられる。最初は純化されていたはずの関係がなぜ、こんなにもどろどろとした地獄に落ちるのか?ネット恋愛の果ての男女が駆け込む人生相談の窓口に投げかけられる疑問符はどれも同じだとある相談員が話してくれた。純化された記号の一致は単なる電子の世界の“名寄せ”“検索”に過ぎない。実際、対峙し同じ時間を過ごす現実に抛り込まれた男女の間には、その瞬間から複雑な感情の連鎖が波のように押し寄せ二人はカオスの中に投げ込まれる。その混沌をよしとし受け入れながら静かにそれが自己組織化していくプロセスを楽しめばいいのだが、どうも、ここんところ起こる不可思議な事件、特にネット社会の中からあふれ出てくる事件には、このプロセスが消失しているように思えると相談員は話す。あっという間に合致しあっという間に切り捨てられる世界、プロセスが省略される世界がいつのまにか広がっているのかもしれない。
▼企業社会で最近、連呼されるのが「スクラップ アンド ビルド 」という言葉。 実に整理された美しい言葉である。企業で言えば会計年度の期末日に締めると貸借対照表が見事にゼロになる、という結末。しかし、その綺麗な決算にいたるまでの日々の取引は過剰な物流、いびつな人事交流という混沌が渦巻いているはずである。リストラとは、本来、こうしたカオスを引き受けながら組織を再構築していく、プロセスであったはずだが、いつもまにかリストラ=人員整理、という極めて短絡的な図式が出来上がってしまい、あっというまにプラス マイナス ゼロ の方程式をつくり、その方程式に掲げた削減人員が最終目標になり、皆が踊る。プロセスを喪い構想を放棄した行動原理が蔓延している。
▼人生は結局「スクラップ アンド ビルド」である。無に生まれ無に帰すのである。しかし、そのプロセスでは人生はあるものを過剰に産み出し、あるものを過剰に喪うのである。その瞬間、その瞬間は実に歪である。そして、結果として、ほっておいても全ては「スクラップ アンド ビルド」 無に帰するのである。よって、「スクラップ アンド ビルド」 は デジタル時代の二元論記号社会が産み出した空虚な合い言葉だと私は思う。
▼先週の日曜日の昼下がり、わが団地前がざわざわしている。中学生が階段を駆け下りていく。「どうした?」「コイズミが来るんだ。」そういって中学生は団地前の広場に向かった。携帯電話で皆がメールしあっているせいなのか、閑散としていた広場は首相が来る直前、実にタイミング良く人で溢れかえり、彼が消えるとすーっと散っていく。それを上から俯瞰する。人の群れは渦巻かない。波のようにワーッと押し寄せスウーッと引いていく。滞留して渦巻き水たまりを作るなとという歪さは全くない。これがコイズミ記号社会の俯瞰図だ。それから1週間後、昨日の選挙で、予想通り、小泉自民党は圧勝した。
▼生命はどこから生まれたのか?40歳代初めの頃、こんなことばかりを真剣に考えていた。その結論として、私の中で納得した一つの風景がある。それは海岸の潮溜まり。深海底から吹き上がった様々な有機物が、打ち寄せる波の泡の中に閉じこめられて岩陰に滞留する。それぞれの泡の中では押し合いへし合いの有機物が互いに刺激し合う混沌がある。その無数の泡に時折一条の強い光が射し込む。それがスイッチとなり、さらに何かの偶然が重なり混沌を大きく括った秩序が生まれ、諸々が一気ある方向に動き出す。最初の生命はこうして創出した。それ以後、あらゆる生命活動は混沌としたプロセスの中で次のステージに自らを昇華させている。その混沌を拒絶し、今をよしとして整理された秩序の中に身を委ねようとした瞬間にその種には絶滅が待っている・・・・・・秋海棠の迷路を見ていると、頭の中がぐるぐる、とりとめもなくまわりだした。それを沈めようとまた酒場に向かう。あらためて言うまでもなく、私の人生は混沌だ。
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