娘「ドンマーイン」   母「大丈夫よ」
        2005年11月15日  

梅擬(うめもどき) Ilex sarrata

モチノキ科モチノキ属
落葉低木。雌雄異株。葉が梅の葉に似ていて、実のつき方も小さな梅の実のように 見えることから「梅もどき」になった。セイヨウヒイラギやモチノキと同じ仲間。
英名は、Japanese winterberry。
晩秋から初冬にかけて赤い実をつける。 この実は発芽抑制物質を含んでおり、 小鳥のおなかを通過しないと発芽しない しくみになっている。小鳥を使って 種を遠くの方に運んでもらう。
「梅嫌」「梅擬」等とも書く。花言葉は、
深い愛情

娘が嫁ぐ一ヶ月前の母の言葉  10月20日 皇后陛下
 

清子は昭和44年4月18日の夜分,予定より2週間程早く生まれてまいりました。その日の朝,目に映った窓外の若葉が透き通るように美しく,今日は何か特別によいことがあるのかしら,と不思議な気持ちで見入っていたことを思い出します。

自然のお好きな陛下のお傍で,二人の兄同様,清子も東宮御所の庭で自然に親しみ,その恵みの中で育ちました。小さな蟻や油虫の動きを飽きることなく眺めていたり,ある朝突然庭に出現した,白いフェアリー・リング(妖精の輪と呼ばれるきのこの環状の群生)に喜び,その周りを楽しそうにスキップでまわっていたり,その時々の幼く可愛い姿を懐かしく思います。

 内親王としての生活には,多くの恩恵と共に,相応の困難もあり,清子はその一つ一つに,いつも真面目に対応しておりました。制約をまぬがれぬ生活ではありましたが,自分でこれは可能かもしれないと判断した事には,慎重に,しかしかなり果敢に挑戦し,控え目ながら,闊達に自分独自の生き方を築いてきたように思います。穏やかで,辛抱強く,何事も自分の責任において行い,人をそしることの少ない性格でした。

 今ふり返り,清子が内親王としての役割を果たし終えることの出来た陰に,公務を持つ私を補い,その不在の折には親代りとなり,又は若い姉のようにして清子を支えてくれた,大勢の人々の存在があったことを思わずにはいられません。私にとっても,その一人一人が懐かしい御用掛(ごようがかり)や出仕の人々,更に清子の成長を見守り,力を貸して下さった多くの方々に心からお礼を申し上げたいと思います。

 清子の嫁ぐ日が近づくこの頃,子どもたちでにぎやかだった東宮御所の過去の日々が,さまざまに思い起こされます。

 浩宮(東宮)は優しく,よく励ましの言葉をかけてくれました。礼宮(秋篠宮)は,繊細に心配りをしてくれる子どもでしたが,同時に私が真実を見誤ることのないよう,心配して見張っていたらしい節(ふし)もあります。年齢の割に若く見える,と浩宮が言ってくれた夜,「本当は年相応だからね」と礼宮が真顔で訂正に来た時のおかしさを忘れません。そして清子は,私が何か失敗したり,思いがけないことが起こってがっかりしている時に,まずそばに来て「ドンマーイン」とのどかに言ってくれる子どもでした。これは現在も変わらず,陛下は清子のことをお話になる時,「うちのドンマインさんは・・・」などとおっしゃることもあります。あののどかな「ドンマーイン」を,これからどれ程懐かしく思うことでしょう。質問にあった「贈る言葉」は特に考えていません。その日の朝,心に浮かぶことを清子に告げたいと思いますが,私の母がそうであったように,私も何も言えないかもしれません。


結婚式直後の娘の言葉  
     11月15日 黒田清子さん

嫁ぐ朝、皇后様は、しっかりと抱きしめて下さり「大丈夫よ」と何度も仰って下さいました。

                      2005年11月15日