その後の “のび太”と“ドラえもん”            2006年1月19日  



▼まもなく新芽を吹き出しそうな公園の裸樹に”ドラえもん”が引っかかっている。
2006年の正月、何気なく撮ったこの風景が、2週間後、象徴的な意味をこめてこの便りに掲載されようとは、撮った本人は夢にも思わなかった。まったく、この世はいつ、何がおこるかわからない。

▼ドラえもんが登場したのは1970年の正月である。その第一話は「未来の国からはるばると」という話だが、これはなんとも衝撃的な物語だった。
 1970年のお正月、野比家のひとり息子、のび太の勉強机の引き出しの中から、ドラえもんは忽然と姿を現した。大きな丸顔にヒゲが6本、身長129.3センチで座高が100センチという超短足、手には指はなく腹にはカンガルーのような袋がついている。なんとも奇妙きてれつな生き物だ。
ドラえもんはいきなりこんなことを言う。「ぼくはきみをおそろしい運命からすくいにきた。」「きみは年をとって死ぬまで、ろくなめにあわないのだ。」 10歳の少年を前に、なんと無礼な挨拶なのか。


▼続いて、引き出しの中から現れたセワシという少年は、いきなりのび太のことを「おじいさん」と呼ぶ。「おじいさんは何をやらせても駄目だもの。勉強も駄目、スポーツも駄目、じゃんけんさえ勝ったことがない。だから大人になってもロクな目にあわない。でもこれからはドラえもんがついているから安心しな、おじいさん」

セワシはのび太の孫の孫である。2125年の未来からやってきた。ドラえもんもそこからやってきた未来ロボットだ。なぜ1970年にやってきたのか。その理由が切実である。のび太のその後の人生は波瀾万丈で、莫大な借金を残す。それはあまりにも大きすぎて「100年たっても返しきれないんだよ。だから、ぼくのうちはとってもびんぼうで・・・・・今年のお年玉がたった50円」 セワシは愚痴る。そうして、ドラえもんをのび太のそばにおいて、少しでも運命を変えたい、とそのねらいを語る。これもいきなり失礼な切り出しである。

▼この第一話は実に濃密である。ドラえもんは未来からアルバムを持ってきていた。それには、のび太がこれから遭遇する人生が写されている。



1979年 大学入試に失敗する。(18歳)
  ◇1988年 就職に失敗、自ら会社を起こす
(27歳)











◇1993年 花火が原因で会社が丸焼けになる (32歳)



◇1995年会社が倒産して借金地獄に落ちる
                    (35歳)










 

▼なんとも波瀾万丈ののび太の半生であるが、今、2006年の時点から振り返ると、その折節、のび太の選択とその結末には、時代背景が反映していることがわかる。1988年、会社を起こした頃は、バブルの最盛期である。写真から推測するに、おそらく、人の良い父が練馬の実家を担保にいれて起業資金を提供してくれたのではないか。会社の火災は保険でなんとか切り抜けたにしても、95年の会社倒産は明らかにバブル崩壊後の不良債権処理のあおりである。のび太の半生はまさに日本経済の航海そのものである。
▼しかし、漫画「ドラえもん」は第一話以後、のび太のその後の人生については先送りして、登場から36年を経ても、いまだ1970年の世界に留まっている。もし、子孫に膨大な借金を残さないように未来を修整するのが、ドラえもん派遣の理由ならば、その後の人生の局面局面で、ドラえもんはどのような道具をだし、のび太の人生に軌道修正を加えていったのであろうか。その近過去の「のび太救済作戦」については後日、報告するにことにして、95年、会社がつぶれた後ののび太を追って見よう。
▼ 1996年  36歳になったのび太はきょうも虚ろに町を歩いていた。いや、虚ろというより、やっぱりきょうも気が付いたら目は忙しく、捜していた。95年の会社倒産以来、ドラえもんはのび太の前から姿を消した。確かに、あのアルバムのようにその後ののび太には決して順風満帆とは言えな色々な試練があった。しかし、のび太はその一つひとつ一つを前向きに乗り切ることができた。会社をつくる時も不安は全くなかった。それもこれもそばにドラえもんがいたからだと思う。昔のようにワクワクする道具を次々と出してくれることはなくなったが、そばにいてくれるだけで励みになった。そのドラえもんが、会社倒産の日、のび太の前から姿を消した。なぜなんだ。その日から、のび太はどらえもんを捜し続けている。
 ある日、例によって所在なく虚ろな気分でドアを開けた、まんが喫茶の奧に、ドラえもん瓜二つの背中の男がスポットライトを浴びていた。男は一心に「ナニワ金融道」を読みふけっていた。「ドラえもん?」 男は本から目を離してにっこり笑ってこう言った。「ぼく、ホリえん」 こいつはドラえもんではない、が、面白そうな奴だ。のび太はその小太りの男の横に座って「課長島耕作」を読み始めた。
 「ぼくの会社に来てみる?」 誘われてその男の事務所について行ったのは、知り合ってから数日後だった。特に愛想がいいわけではないが、人を色眼鏡でみない無邪気な人柄になぜかほっとした。雑居ビルの一番隅に男の事務所があった。たった7畳ほど、部屋には中古のパソコンがあるだけだった。「これは僕の“うちでの小づち”だ」と男は言った。“うちでの小づち”という響きに懐かしさを感じた。昔、ドラえもんが出してきた道具を思い出した。その日からのび太は男の会社の社員となった。
1997年〜2003年 確かに、そのパソコンからは、ドラえもんのポケットのようにいろんな道具が飛び出し、会社はみるみる大きくなった。その男のもとにはのび太のような男達が吸い寄せられるように集まってきた。会社が倒産して行き詰まっていた者、高卒でなかなか認められなかった者、引きこもりで社会性がない者、そんなコンプレックスの塊のような者達が集まり、男のものとで“リセット”された。「人生には何度もやり直しがきく。」その言葉に皆が励まされ、男がポケットから繰り出す様々な道具を持って嬉々として走りはじめた。
2004年 のび太44歳、小太りの男は新会社を設立した。名前は「どこでもドア」社。東京の一等地の高層ビルに新会社は入った。この頃、社長は秘密のうちに、「これが我が社のとっておきだ。」といって「マトリョーシカ」という道具を出した。ロシア人形「マトリョーシカ」、日本のだるまのような形で胴体の真ん中で上下に分かれ中に少し小さい人形が入っている。その中にもまた少し小さい人形が入っている。その仕掛けのようにきりがない錬金マシン「マトリョーシカ」。まるで麻薬のように、みながこの道具にとりつかれ、駆け回った。止まることなど考えられず、ただただ、大きくなることだけを考え、人形の上に同じ形をかぶせて次々と「マトリョーシカ」を肥大させていった。

2006年元旦 のび太は46歳になっている。不思議な初夢を見た。どっぷり肥った「マトリョーシカ」が踊っていた。やがてその不格好な人形がドラえもんの姿に変わった。ドラえもんを見るのは久しぶりだった。ドラえもんはポケットの中から“うちでの小づち”を取り出した。そして「ドラやき出ろ」と言って、小づちを振った。すると10円玉がチャリンと落ちてくる。その10円玉はコロコロと地面に転がって道端に置かれていたガラスケースの下に入った。ドラえもんがそのケースを持ち上げていると、 「ありがとう。引っ越しの手伝いをしてくれるんだね。」と勘違いされ、ドラえもんは引っ越しの手伝いに汗を流す。そして家人に「助かったよ。お茶でもどうぞ。」と誘われる。そうして、お茶と一緒にでてきたものがドラやきだった。ようやく、願い事が叶った。
幼い頃、ドラえもんのポケットからできていた願い事が叶う道具はたくさんあったが、その多くがそれなりの代償を要求されたものだった。のび太は思い出した。「マトリョーシカ」に熱中する中で、すっかり忘れてしまっていた教えだった。
 のび太はドラえもんに言った。「もう一度、僕と一緒にタケコプターで空を旅してくれるかい。」 「うん、行こう。」 二人は空に舞い上がった。

 それから、二週間後。
この数年間、ドラえもんに代わってのび太に夢を与えてくれたホリえんが消えた。まん丸に肥った「マトリョーシカ」も部屋からなくなっていた。ホリえんが持っていったのだろう。
 再び、のび太は一人になった。

            ※参考文献「ドラえもんの秘密」(世田谷ドラえもん研究会著)
                                       「ドラえもん 第一巻」(藤子・F・不二雄 作 てんとう虫コミックス)
2006年1月19日