「 自分は悪くない。○○が悪い。」は
  もう、よそうよ。   2006年1月31日  

 冬牡丹(ふゆぼたん)  ボタン科ボタン属。寒牡丹ともいう。4月から5月に咲くボタンと
同じである。正確には冬咲きのボタンには二通りある。寒牡丹系は、本来は春と秋に咲く品種を、秋から春にかけて咲かせるようにしたもの。これに対して、春咲きの品種を低温にあわせた後、温室に移して開化させた株を冬牡丹として区別することもある。
 

冬に花を咲かせるには初夏に咲く花の蕾を摘み取り、8月頃にさらに葉まで摘み去ると改めて10月頃に蕾と葉をつける。この株を15〜20℃の暖かいところに入れて保護すると12月頃に開花する。
 

冬の間は花や株が傷まないように藁などで簑笠形のおおいをかけて霜や雪よけをしてやる。
 冬牡丹は江戸時代に現れ、江戸後期の文化年間(1804年〜18)には大ブームとなった。

花言葉は、富貴、恥じらい。


闘病生活を克服して、職場復帰した友人と久しぶりに旧交を温めた。こういう酒盛りは何度やってもいいが、お互い、健康に気をつけなければいけない年齢である。ほどよいところで、席を立とうとした時、友人がこう言った。 
「そう言えば、ここんとこテレビの画面に六本木ヒルズの映像がよく出るけれど、あの映像が出るたびにつらい思いをする人がいることを忘れないでほしい。」彼がほのめかしたのは、2年前、六本木ヒルズの回転ドア事故で、命を落とした小学生の遺族のことだ。
頻繁にITバブルやライブドア・ショックなどのニュースが踊る中で、無造作に写しださせる六本木ヒルズの映像。それを見るたびに、心抉られる家族がいることを友人は気にかけていた。その利他的な言葉にはっとさせられた。

乱暴な言葉の応酬が個人の心をいとも簡単に破滅させる時代になった。巷に増える「心の病」、それを現代人の脆弱化として片付けようとする向きがあるが、私にはそうは思えない。社会の中から、思いやりや相手の心を斟酌するという気配りが急速に喪失している。それが無造作に投げかけられる言葉の暴力となって、まだ繊細の海に漂う心優しき稀少感性の人々の心をえぐっていく。テレビに自爆テロに遭遇し燃えさかるバグダッドの雑踏、泣き叫ぶ少年のアップ映像が映し出される。それが次の瞬間、気まぐれな指の操作によって、あっという間に、「こんな不細工な男と相方を組むなんて死んだほうがましや。」というお笑いタレントの投げやりな顔のアップに切り替わる。その大写しの茫漠とした顔に、明らかに後処理で加えたとしか思えない人々の高笑いが聞こえる・・・巧みな編集によって、テレビの前の視聴者は、自ら創造力を発揮する間もなく、感受性を次々にザッピングされ使い捨てられていく。余韻などどこにも転がっていない。その瞬間芸の応酬の中で、テレビを見る者も映像を送り出す者も公理の精神などどこかに置き忘れてゆく。

▼友人の言葉がひっかかっていた。帰って、さっそく2005年3月、事故から一年後に放送されたNHKスペシャル「安全の死角 〜検証・回転ドア事故〜 」をあらためて観た。

 2004年の326日、小学校入学目前の男の子が、IT時代象徴のシンボル、六本木ヒルズの回転ドアに挟まって亡くなった。安全だと思っていた回転ドアが突然、凶器に変わる、というとんでもな事故が、東京のど真ん中、それも最新鋭のビルで起きたのだ。

▼ 事故原因の捜査は、当事者への聞き取りを中心におこなわれた、ビル管理会社、施工業者はいずれも「自分達には責任はない。」と主張し、捜査も責任の追及に終始した。
 この様子を注視していた工学院大学の畑村洋一郎名誉教授は、「なぜ、回転ドアが凶器に変ったのか?どんな対策をとれば事故はなくなるのか?このままこの事故を見過ごせば、社会が得なければいけない教訓をなにも得ないまま、忘れられていく。」と思った。六本木ヒルズでは以前にも、子供が回転ドアに挟まれる、という事故は32件も起きていた。危険を知りながらなぜ抜本的な対策がなされなかったのか?どうして危険なドアが生まれたのか?今回の事故の教訓は何なのか?どんな回転ドアがどれだけの力で命を奪ったのか?
 失敗と正しく向き合い次へ生かす、失敗学の視点から、畑村教授はこの事故に向き合った。
教授はただちに各方面の専門家15の企業団体から30人「ドア・プロジェクト」 を結成した。シャッターやエレベーターの専門家、鉄道会社での安全対策責任者、自動車安全構造の専門家、子供の事故を専門とする医師、警察の捜査では対立しているビル管理会社と回転ドアを施工した業者も加わった。番組は「ドア・プロジェクト」の調査活動を詳細に追い続ける。

まず、衝撃実験が行われる。その結果、ドアに挟まった時、847キロの衝撃があり、幼児の頭100キロの衝撃で砕ける、というとんでもない数字がでた。なぜ、こんな重量になるのか。恐ろしい殺傷力はどこから出ているのか?なぜ生まれたあのか?回転ドアの裏側を分解する。六本木ヒルズの回転ドアは、モーター、ブレーキ、バッテリー、扉と共に回転しているメカニズムだけで1,2トン、鉄とステンレスでできた扉が1.5トン、合計で2.7トンの重量を抱えて、回転していることがわかった。

回転ドアが発達したのは、冬の寒さが厳しいヨーロッパである。普通のドアだとビルの内側と外側に気圧差が生じ、開閉のたびに風が吹き込む。ビルの暖房コストも高くなる。これに対して回転ドアは風の吹き込みがない。よって暖房コストも安い。コスト削減の流れに乗って、回転ドアはオランダから日本にも導入された。
▼番組スタッフはオランダにとぶ。そこで驚くべき事実を知る。オランダの回転ドアの重量は1トンを超えることがない。日本のドアの重量は2.7トンである。本場のオランダはその3分の1だ。軽いドアは、センサーにも敏感に反応しすぐに短い距離で止まる。挟めれた時の衝撃も怪我をしないように設計されている。。ドアの軽くすることで、もしもの時の安全を確保することにしていた。「重くなった扉を動かすためにより多くの力を加えるのは危険で間違った考え。安全のためには扉を軽くつくり簡単なしかけで動かすべき。」 と設計者が断言する。日本に輸出した時点では、はっきりした安全思想があったのだ。では、いつの時点で、安全という視点が消えていったのか?

▼オランダから日本に輸入された回転ドアがどのようにその姿を変えていったのか、ドア・プロジェクトは、94年にオランダから入ってきた第一号機から事故機にいたるまでの10年間の経緯を調査した。オランダから入ってきた時、回転ドアはオールアルミニウムでできていた。アルミは軽いためモーターも小さいものですみ、仕掛けはきわめてシンプルだった。ところが、豪華な外装を好む日本の顧客のニーズに応えるために、扉の骨組みはアルミだが、表面にステンレスをはった。この改良により、当初、900キロだった1号機は300キロ増えた1.2トンとなった。

▼しかし、この改良で不具合が生じた。重量が増えたために 駆動部分に無理がかかりモータが異常な音を発するなどクレームがでてきた。98年にこうした苦情を解消するするために、一つのモーターを真ん中に取り付けた中心駆動方式をやめ、複数のモーターを天上にとりつけ走らせる外周駆動方式に変更した。。この変更のために重さは急激に増大した。
▼さらに、このドアの完成直後、日本製の回転ドアを製造していたメーカーが経営破たんし、オランダの会社も技術提携の解消するという事態になり、回転ドア製造のノウハウを引き上げた。2000年、買収した会社が回転ドア製造を再開したが、この時、これまでの図面、設計書は引き継がれることはなかった。あったのは、実物の回転ドアだけだった。
▼さらなる変更は大型回転ドアを高層ビルに導入したときにおこった。強風が吹き込むドラフト現象のためにドアが歪む心配が浮上した。技術陣は、この問題はドアの強度をませば解決すればすむと考え、アルミの骨格を鉄にかえた。この変更で回転ドアの重さは1号機の3倍近い2.7トンに達した。

▼ドアプロジェクトの徹底調査によって、技術が移転を繰り返す中で軽くなくてはならないという安全上最も大切な設計思想が、忘れられていった過程があきらかになった。「軽くなくてはならない。という思想が伝わらない。形だけが引き継がれ、思想が伝わっていない。安全の本質が見失われたとき、回転ドアは徐々に凶器へと変貌していった。しかもその暴走をとめるはずの国の規制や規格が回転ドアに関してはなかった。」(畑中教授)
顧客からの要望、ライバルとの競争、常に変化が求められる技術開発の現場で安全の死角は人知れず拡大をつづけた。これはあらゆる開発の現場でおこりうる・・・・・・・番組はこう警鐘を鳴らした。

▼「耐震偽装」「ライブドア事件」に揺れ続ける年明け早々の日本列島、吹き出ているのは目先の利益追求のために、公理を忘れて暴走していった日本人のどうしようもない性だ。しかも当事者達は「自分は悪くない。」「悪いのは○○だ。」と相変わらずの責任のなすりあいで、失敗の本質を究明しそこから教訓を引き出そうとする作業は一切見えないまま、時間が過ぎている。何か事が起こった時のこの行動様式もいつものパターンだ。そんな中で、ドア・プロジェクトが1年間かけて、失敗の本質を究明しつづけ解を導き出した
ことは非常に大きな意味がある。バブルの塔、六本木ヒルズで起こった一つの事故が、その2年後、日本社会を襲う大きな事件を予見していた。そして、今、我々が何をしなければならないかという解もその中にある。


▼毎日のように、テレビ画面に映し出される六本木ヒルズの映像を見ながら、回転ドア事故で息子を失った家族の心を想像し心配する、わが友の精神は健全だ。そうした想像力を失ったために「耐震偽装」は起こり、ホリエモンは暴走してしまったのだ。公理を見失った時、失墜は始まる。

「あの日のことを思い出すと、恐怖で体の震えが止まりません。“六本木ヒルズ”“回転ドア”という言葉だけでも同じ反応が出てしまいます。この傷は一生消えることはないだろうと思います。本当に気が変になりそうです。あの日以来、家族のだんらんも消えました。しかし、悲嘆にくれながらも、父親として、妻のためにも、何が息子を死に追いやったのかという真相と問題点を可能な限り明らかにしていこうと考えています。」(回転ドア事故で息子を失った父親の手記より)
 
 

2006年1月31日