春は来る
         2006年2月12日  

 蝋梅(ろうばい) Chimonanthus praecox Link  ロウバイ科キモナンサス属落葉
低木。花期は1月〜2月、江戸時代の初期に中国から渡来した。
 花名の由来には、花弁の色や感じが蜜蝋でつくったもののようなので「蝋梅」となったという説と、臘月(ろうげつ。中国の陰暦の12月)に花が咲くからという説がある。
花言葉は、慈愛.

▼入院している後輩の見舞いに、渋谷の東急ハンズで花を買おうと思った。切り花がいいのだろうが、気に入ったものがないので、先日から注目していた「四つ葉のクローバー」の小さな鉢を買うことにした。「次々と幸運が訪れるように・・・」 いい歳をして少女趣味だが、なかなかの贈り物だとおもった。レジでお見舞い用だと告げて包装をしてもらい、店を出た。雑踏に向かって歩きかけた時だった。「お客さーん。」と溌剌とした声に呼び止められた。振り返ると、レジの女の子がかけてくる。声を切らしてその子がこう言った。「お見舞いにするとおっしゃいましたね。」「ええ。」「鉢植えを病院に持って行くと、そこに根付くといってよくないと言われています。だから、普通、みなさん、お見舞いには切り花にされています。」 レジの前では、いい歳のおじさんにアドバイスするのは気が引けたのだろう。しかし、病室で恥をかかせるより、今、言ってあげたほうがいい。そう思い直して、その娘は、オヤジの後を追ったのだろう。ありがたかった。このクローバーは奥さんに渡そう。「退院したら、家の庭に植えて下さい。」そう言って渡すことにしよう。    「ありがとう。」腹の底から声が出た。
 
▼病室での君は、痛みを我慢し笑顔で私を迎え、ベッドに正座して律儀にお辞儀した。「かえって、気を使わせてしまったな。」 一瞬、後悔したが、すぐに久々に逢えたことの楽しさに、そんな気持ちも消えた。今からもう25年以上の昔、神戸の町の小さな放送局のディレクターとして、寝食を共にした君の笑顔は歳月を越えて、いまも眩しい。ここんところの寒さが影響しているのだろう、緊張した筋肉が神経を刺激しているにちがいない。君は冷静に分析した。
▼ここ数年、大病と戦い、一つ一つのハードルにくじけることなく挑み克服していく君の姿は、私たち、まわりにいるものたちに深い感動と勇気を与えてくれている。番組作りにも負けないほど、君は果敢に何かかけがえのないものを私たちに示し続けている。 
 君と奥さん。この試練に二人、しっかり手を携えて向き合う姿は清風のようだ。奥さんの底抜けの笑顔、その手はそっと、君の男らしい精悍な手に添えられていた。
▼私は25年前のあの日々が愛おしい。毎日毎日、いい番組をどうやってつくればいいのか、そればっかりを考え君達と議論し怒り笑ったあの頃が愛おしい。還らぬ日々を取り戻せぬことがもどかしい。しかし、目の前の君たち夫婦は、今をしっかりと受け止め、今を生き抜こうと懸命だ。その姿にはっとさせられ、すぐに追憶の中に閉じこもってしまう自分が恥ずかしくなる。
▼君たち夫妻がいつも目を輝かして話してくれることがある。それは息子さんたちの話だ。自慢の長男は成績優秀で、目下、アメリカに留学中だ。国際政治学を専攻していて、先日の全米スピーチコンテストでベスト10に入った。先日、帰国して3日間、ずっと病床の父のそばにいて、またすぐにアメリカに帰っていった、という。その短い時間の中で、向かいあった父と息子は何を話したのだろうか。
「あの子は、将来は放送記者になりたいらしい。」 夫妻は生き生きと夢を語った。遠く離れて暮らすわが子のことを楽しく語る二人の姿を見ながら、私は歳月が授けてくれた年輪を想う。君たちが紡いだ、かけがえのない夫婦の絆が、まもなく訪れる春の予感となって、目の前の私を溶かしてくれる。妻の手はいつまでもゆっくりと静かに夫の精悍な手をさすり続けていた。「一生懸命、家族のために働いてくれたんだものね。これからは私がうんと働くわ。」 なんと美しく健気な言葉だろう。

▼次の日の朝、私は公園で、満開のロウバイの花を見た。公園の片隅にあるこの木がこんなに見事な黄色い花群れを披露してくれるのは数年ぶりである。ここ1,2年、暖冬のせいか、季節の移り変わりが緩慢で、春、夏、そして秋の紅葉まで、その色彩に今ひとつ精彩がなかったように思う。しかし、今年は違うかもしれない。強烈な寒波に身を晒し春を待ちこがれる木々はその体内に凛と張り詰めた緊張感を取り戻したのではないか。この寒気が次に見事な春爛漫を引き連れてくるのかもしれない。きっと、今年の春は美しい。

▼厳しい冷気の中で緊迫した筋肉が神経を刺激し、君に痛みをもたらしているらしい。もう少しの辛抱だ。その後には、春の陽光とともに、緩やかでのどかな日々が君を包んでくれるはずだ。
ロウバイの下で、君達夫婦のことを考えている。
大丈夫、春は来る。

2006年2月12日