アメリカの背骨
         2006年2月8日  

 猫柳(ねこやなぎ) Salix gracilistyla Miq. ヤナギ科

 春、葉に先だってのびる花穂を猫の尾に見たてて名付けられた。
 川辺に生えることから川柳(かわやなぎ)ともいう。

 花言葉は、自由・率直

▼7日、日本国内は秋篠宮紀子様の懐妊の報に沸いた。この日、アメリカ・ジョージア州リソニアのバプテスト教会では、先月31日亡くなった人権活動家、コレッタ・スコット・キングさんの葬儀が行われた。会場には約一万人が参列し、現職を含む米国の歴代大統領氏も顔をそろえた。
▼コレッタ・スコット・キングさんは、米公民権運動の象徴的存在だった故マーチン・ルーサー・キング牧師の妻である。アラバマ州出身で、ボストンで声楽を学んでいた時にキング師と出会い、53年に結婚。歌や詩の朗読を通し非暴力を訴え、キング師の公民権運動を支えた。68年にキング師がテネシー州メンフィスで暗殺された後、遺志を継いで公民権運動を指導し、1968年に公民権運動の資料を集めた「キング・センター」をアトランタに設立。また、キング牧師の誕生日を米国の祝日とする運動も行い、83年にレーガン大統領が法案に署名し、実現した。アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)への反対運動など国際的にも活動し、米国でもっとも影響力のある黒人指導者の一人となった。

▼BS1の「きょうの世界」はキング夫人の葬儀をトップ項目で大きく取り上げた。  歌や詩の朗読もある豊かな雰囲気の中で、儀式は粛々と進んだ。そして、最大の山場は、歴代の大統領の弔辞であろう。
 カーター元大統領 「キング牧師とコッレタさんはアメリカを変えました。政府のトップは二人を快く思いませんでした。市民としての権利を侵害され、政府が秘密に盗聴する、その標的となった、この夫婦は苦労を重ねました。コレッタさん、あなたがいなくなってさびしい。しかし、あなたがご主人と共に栄光のなかにあること思うと慰められます。私自身、そして世界からの感謝をささげます。」

 クリントン前大統領 「コレッタさんは単なるシンボルではない。生身の女性とし呼吸し、怒り、傷つき、夢を持ち、失望も味わってきた女性だということを忘れたくありません。彼女の夫となったキング牧師は54年前、自分が女性に求めるのは、個性と知性と人格と美しさだとのべました。コレッタさんは、これ全て満たしました。」

 ブッシュ大統領 「キング牧師はかつて不当な苦しみには救いの力があると教えてくれました。この真理が最愛の人によって証明されようとはキング牧師も夢にも思わなかったでしょう。キング夫人を悲しませることはできても人を憎む人間にすることはできません。キング夫人はその強い心、人を許す心を持って、夫の遺したものを引き継ぐだけでなく自分自身も足跡を残しました。」

 ブッシュ大統領の弔辞の後、マイクの前に立ったのは、南部キリスト教指導者会議 ジョセフ・ローリー師だった。南部キリスト教指導者会議は、1960年、食堂やバスでの差別撤廃を求める運動が南部各地で広がったのをきっかけにキング牧師が結成し自ら議長に就任したものだ。ローリー師は静かに語り始めた。
南部キリスト教指導者会議 ジョセフ・ローリー師「私はギャンブルや賭けはしませんが、コレッタさんでなければこれだけの人を集められなかったでしょう。コレッタさんは貧困、人種差別、戦争に反対する夫のメッセージをさらに広げました。遠い異国で我々の高性能爆弾で引き起こされる恐怖に憂えていました。そこに大量破壊兵器がないことは我々にはわかっていました。」

会場から大歓声がわき起こった。苦々しい表情のブッシュ大統領の顔がクローズアップで映し出される。

「コレッタさんも我々も足元に誤った導きという武器があるのもわかっていました。数百万人が健康保険に入れないでいます。貧困が蔓延しています。戦争には数十億かけられても貧しい人に支払う金はこれ以上ないというのです。
コレッタさんをきびしく批判する人もいました。しかし、コレッタさんはそれを歯牙にもかけず、その人たちに迎合するような発言はしませんでした。神様ありがとう。先日、神様のこのよおうなみことばを聴いたような感じがしました。『わが子、コレッタよ。家に戻っておいで。もう休んでいいよ。疲れただろう。よくやった。』と。

 会場の皆が総立ちをし、惜しみない拍手をおくった。

▼この光景を見ながら、アメリカの二重性を思う。国家としての大儀を全面に出し軍事大国として世界に君臨するアメリカには、ミシシッピー河に沿って、今なお、nation(国民)ではなくpeople(人民)としてのたゆまぬ理想が生きている。「人民の人民による政治を地上から絶滅させてはならない」と説いたアブラハム・リンカーンの理念は、もはや昨今の超国家主義の行動原理の中では消え去ろうとしているようにも見える。しかし、今日のように、時として、吹き出す「人民主義」の確固とした声を聞くと、忘れかけていアメリカへの憧れを思い出す。アメリカにはミシシッピー河に沿って、黒人達が体を張って気付いた人民主義という太い背骨がある。終戦直後、日本がアメリカをいともたやすく受け入れたのは、国家としてのアメリカではなく、人民としてのアメリカのふところの深さだったにちがいない。焼けただれた瓦礫の中で、もう国家のいいなりになって翻弄されるのはうんざりだ、と思っていた日本市民の心に届いたのはこのもう一つのアメリカだった。それはアメリカ大陸の真ん中を背骨のように突き抜ける、ミシシッピーの良心だ。日本人は国民としてではなく市民、人民としてアメリカを受け入れたのだ。
この葬儀をみながら、「自由」という花言葉を持ち、殺風景な寒空を背骨のように突き抜けるネコヤナギの枝を、キング夫妻に捧げたいと思った。



 
私には夢がある。
今、差別と抑圧の熱が渦巻くミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わりえる日が来るという夢が。
私には夢がある。
私の4人の小さい子供達が、肌の色ではなく内なる人格で評価される国に住める日がいつか来るという夢が。

 私には夢がある。
人種差別主義者や州知事が連邦政府の干渉排除主義を唱え、連邦法の実施を拒否しているアラバマ州にさえ、将来いつか、幼い子供達が幼い白人の子供達と手に手を取って兄弟姉妹となりうる日が来る夢が。     
       (キング牧師 1963年8月28日 「ワシントン大行進」でのスピーチより)

2006年2月8日