「人は負けながら勝つのがいい」
         2006年3月10日

▼奈良。東大寺の二月堂から見た紅白の梅の木にほっとした。少しモヤのかかった陽光に、甍と
そのうす桃色がほどよく調和していた。先ほどから私はゆっくりゆっくり歩いている。そんな私に,じれったい顔をせずに後輩のT君は歩調を合わせてくれている。
▼先週の土曜日、団地のいつものメンバーでのんびりテニスを楽しんでいた。その時、隣のコートから誘いがあった。人数が足りないので一緒にやってくれないかとのことだった。何気なく引き受けて、ゲームに参加して戸惑った。勝敗など頓着せずに暢気にやるいつもの空気とはちがい、隣のコートは熱い空気にみなぎり、相手を打ち負かそうという気迫に溢れていた。つられてこちらにも一気に闘争心がこみ上げた。チャンスボール、肥満と運動不足の我が身を顧みずローボレーを決めてやろうと思いっきり前に踏み出した。その時、左足の中からプツンと音がした。そして、あっという間に歩けなくなってしまった。ふくらぎの筋肉の何本かが切れた。いつものテニスのメンバーは私のレベルに合わせてくれている。それで辛うじて私のテニスは成立している。そのありがたい気遣いを忘れ、「身の丈知らず」のことをして、とんでもないしっぺ返しを受けた。
▼一週間たって、徐々に回復はしているが、まだ、足を引きずり早足ができずに回りに迷惑をかけている。そんな状態で奈良に出張した。仕事を終え、夜、ホテルの部屋に入ると、どかっとベッドに倒れ込んだ。まだ、ふくらはぎがヅキヅキ痛い。気を紛らわすために、持ってきた本を読んだ。山本周五郎の「人は負けながら勝つのがいい」、その最初の短編「ちゃん」を読み始めると迂闊にも何度も泣けてきた。
「その長屋の人たちは、毎月の14日と晦日の晩に、きまって重さんのいさましいくだを聞くことができた。」 小説はこの一文から始まる。貧しい長屋住まいの火鉢職人の重吉は、賃金をもらった日はいつもべろんべろんに酔っぱらって、大声で「銭なんかない、よ」「みんな、飲んじゃったよ。」と云いながら長屋に帰ってくる。長屋はひっそりしているが、みんな耳をすませて聞いている。やがて重吉の妻、直が呼びかける。「はいっておくれよ、おまえさん。」ついで長男の良吉がいう。「ちゃん、はいんなよ。そんなところへ座っちまっちゃだめだよ、こっちへはいんなったらさ、ちゃん。」「はいれない、よ」重さんはのんびり云う、「みんな遣っちまったんだから、ああ、みんな飲んじまったんだから、はいれない、よ」長屋はやはりしんとしている。まだ起きているうちもあるが、それでもひっそりと、聞こえないふりか寝たふりをしている。ーー
長屋の人たちは重さんの家族を好いていた。重さんもいい人だし、女房のお直もいいかみさんである。14になる良吉、13になる娘のおつぎ、7つの亀吉と3つのお芳。みんな働き者であり、よくできた子たちだ。重さんを家に入れる儀式はたいていの場合、お直と良吉で片はつく。しかし、それでも動かないときは、末の娘のお芳が出てくる。お芳は気取って舌足らずなことをいう。「たん」もちろん父(ちゃん)の意味である、「へんなって云ってゆでしょ、へんな、たん。」
▼山本周五郎は、この貧しい重吉一家、重吉がいつも酔いつぶれる飲み屋の人々の様、そして時勢に乗らない頑固な職人の重吉の生き様を、愛情たっぷりに描写してみせる。ある夜、いつものように酔いつぶれた重吉は、そこで初めて出会った男を長屋に連れて帰る。ところがその男はどろぼうだった。重吉が酔いつぶれた後、家財を盗んで消えた。この時、失意の重吉を家族は責め立てることもせず、こんな言葉を投げかける。
「そんなこと忘れなさいったら、物を取られたことより、親切を仇にされたことのほうがよっぽどくやしいわ」とお直が云った、「それに、おまえさんの友達なら困るけれど、知らない他人だっていうんだからよかった、他人ならこっちは災難だと思えば済むんだから」・・・・・・・
「良がなんて云ったか教えてあげましょうか」とお直は亭主を見た、「ーーーもしちゃんがこんなことをしたんなら大ごとだ、こっちが盗まれるほうでよかったって、良はそう云ったきりですよ。」 
▼圧巻は、家族に迷惑ばかりかけている重吉がひっそり家を出て行こうとした時のことである。お直に呼び止められた後、子供達が次々と現れて、自分達も一緒に行くという。「放ればなれになるくらいなら、みんなでのたれ死にするほうがましだわ」・・・・・・この家族の様子を長屋の人達は息をひそめて見守っている。そして、子供達が重吉を引き留めることに成功すると、ほっとする、そんな空気を周五郎は丁寧に描き上げていく。メルヘンである。なんどもこみ上げてくるものを抑えることができなかった。
▼翌朝は早く起きて、T君達と奈良市郊外の公民館に向かった。地元の放送局とT君たちが協力して「地域ミーティング」を企画した。新興住宅地のこの地域では、昨年、小学校1年生の女の子が下校時に車で連れ去られ殺害されるという痛ましい事件が起きた。二度とこのような事件を起こさないためにどうすればいいのか、この事件をもとに「性犯罪の再犯をどう防ぐか」という番組を手がけたT君らは、単に番組を発信しただけで終わりではなく、そこを起点にして地域の事情に合う対策のスキームは作れないものか、と考えた。その結果が、このミーティングのよびかけとなった。
▼会場には地元の小学校の校長、自治会会長、PTA会長、教育委員会の主事・・・それまでばらばらで対策にあたっていた人々が一堂に会した。2時間にわたり活発な意見交換が続き、互いに羽根をすりあわせる虫のように、参加者の間には一体感が生まれたように強く感じた。昨夜、読んだ、「ちゃん」の中の長屋のような空気を思った。お互いが顔見知りになり、それぞれの持つ人生の事情を感得しあい、あうんの呼吸の空気を作り出すことの大切さを痛切に感じる。
▼メンバーの中で、最も積極的に問題提起し皆を引っ張っていたのがAさんだ。銀行の幹部を勇退した後、地域活動に専念している。事件直後、いち早く、集団下校を行うことを提唱し、自治会が全面的にバックアップした。それは今も続き、地域の安全マップの作成、パトロールなどの新しい仕組みを次々に提唱している。Aさんは、事件後、各地で起こる様々な残忍な事件の一つ一つに注目している。その紹介の中で、先日、滋賀県長浜市で起きた幼稚園児2人の刺殺事件に関しての下りが強く印象に残った。この殺害事件で逮捕されたのは同級生の母親だった。彼女は日本人男性と国際結婚した中国人だった。「自分の子どもがほかの子どもになじめない。このままでは、自分の子どもがだめになってしまう。だから周りの子どもを殺した。」という動機が報じられると、ブログを中心に、外国人排斥のヒステリックな論調も交え一斉に彼女への総攻撃がはじまった。その渦中で、Aさんはこういう見方をしている。
▼「僕には忘れられない映像がある。それは、容疑者の母親が婦警さんに支えられて連行される時に、こっちを振り返った時の、あの訴えるような表情。あの事件についてはいろんな評論家がいろんなことを語っているけど、僕はね、彼女が何を言いたかったのか、その表情がすべてを物語っていると思うんです。」  どこの地域も弱者を抱えている。災害時に、逃げ出すこともできない一人暮らしの高齢者たち、そんな人々の存在をかつての地域共同体は抱え込み、自分たちのことのように見守っていた。しかし、今、そうした高齢者は災害弱者としてカテゴライズされているものの、彼らを見守る眼差しは薄い。Aさんは、連行される中国人の母親にも、支えられる地域を持たない弱者の孤独を感じ取る。「僕はね、彼女は“子育て弱者”だと思います。外国人の彼女がどうして孤立してしまったのか。そんな弱者を作り出した地域にも罪はあると思う。」
▼Aさんの口からでた“子育て弱者”という言葉が、いつまでも耳に残った。高度情報化社会、母親たちは携帯電話を持ちメールで事細かく子育て情報を交換して日々を生きている。しかし、その傍らで、日本語でメールを打つこともできないその母親はどんな戸惑いの中にいたか。自分の知らない間に周りの母親達は行動をはじめる。自分の知らないところで何かが動いている。自分は無視されている。私は敵視されている。このままでは子育てができない。子どもがだめになってしまう。・・・・負の想像力の連鎖が孤立した心の中で膨張していく・:・・・それを断ち切るための仕掛けが、今の地域から消えゆこうとしている。それは私たちの罪だ、とAさんは訴え、参加者たちは大きく頷いた。1年前、あれほど残忍な事件に襲われた地域の人々が、今、これほど真摯に事の真相を見据えている。その英知と想像力に感銘を受けた。

▼「地域ミーティング」は本業の合間を縫って暖めた構想だった。目の前の慌ただしい仕事に忙殺される職場の同僚からは注目されることもない小さな仕事だ。しかし、ささやかだが確かな企画をやり遂げたT君の表情からは颯爽とした充実感が滲み出ている。帰りの電車まで時間があった。奈良はお水取りの儀式に沸いていた。その舞台、二月堂へ二人で歩いた。朝、足は相変わらず違和感を訴えていたが、ゆっくり境内を歩き続けるうちにその痛みをも忘れることができた。横で歩調を合わせてくれるT君のおかげなのかもしれない。リハビリは、横にいる人の存在が重要な鍵を握るのだろう。


▼前夜、何気なく手にした小説のタイトルが身に染みる。
「人は負けながら勝つのがいい。」 名もなく貧しい長屋の人々が、声をひそめながら重吉家族の暮らしを見守りつづける、その空気を丹念に書き込んだ山本周五郎のメッセージは、二月堂からみた梅のある風景によく似合った。

2006年3月10日