うす紫色の仏様
         2006年3月20日

仏の座(ほとけのざ)
 シソ科の一年草

別名をサンカイグサ(三階草)、ホトケノツヅレ(仏の綴)、カスミソウ、クルマソウ。小川の南向きの土手に、赤紫のサルビアのような花を咲かせる小さな野草。ホトケノザの名は、対生してつく丸形の葉や、その葉が頂葉では幾重にも重なって、恰も仏の座、蓮台を連想させることからつけられる。サンカイグサ(三階草)という別名は対生する葉が立ちあがる茎に段上につくところからついた。ちなみに春の七草の一つに「ほとけのざ」があるが、これは正確にはキク科のタビラコのことで別のもの。

▼春の道端、練馬のバス停の前のコンクリートの隙間に「仏の座」の群生を見つけた。いつもなら「、これはいい」とばかりに、手持ちでバチバチとシャッターを切り、あとでピンぼけばかりの写真を見て溜息をもらすのが関の山だろうが、今年はちょっとちがう。鞄の中から三脚を取りだし、ゆっくりとセッティングして、しっかりとピントをあわせてシャッターを切った。
▼先日も書いたが春の初め、ふくらはぎを捻挫した。それ以来、早足で歩くのに苦労がいる。このまま、老化に突入するのか不安もあるが、この捻挫のおかげで好転したこともある。草木の撮影も今までのようにはしゃいでせっかちに歩き回る事が出来なくなった分だけ、一カ所に落ち着いて撮影しようという安定感が芽生えている。生来の無精者のために、素人写真にわざわざ三脚をすえて構えるのも面倒くさいとこれまではどこかで甘えていたが、怪我のおかげで無性に三脚がほしくなり、先日、ヨドバシカメラに行き6000円の三脚を購入した。それを使って、東京のみちのべの野花をゆっくり撮ることを始めている。
▼仏の蓮台のような葉の上からにょきっりと伸びる淡い紫色の唇形の花はわずか1センチにも満たない。いつもその可憐さに引かれてシャッターを切るが、うまくピントがあわなかった。当たり前である。手持ちでピントが合うわけはない。今回、三脚を使ったおかげで、その花の先の可愛い文様までしっかりととらえることができた。そして、その風貌をよくみると、凛とのびる一本の花はそれぞれが仏像のようにも見える。まさに蓮台の上に数体の仏の立像が並んでいるようにみえる。



▼仏の座は、一昨年の冬、父が他界した日に、郷里の道端で見かけた野花だ。以来、この花を「父の花」とした。今日は亡き父の誕生日である。この季節、郷里の野道で、東京のコンクリートの道端で、いっせいに仏達がすくっと淡い紫色の体を起こす。父の底抜けの笑顔がよみがえる。


▼植物学者・牧野富三郎の言葉

「もし私が日蓮ほどの偉物であったなら、きっと私は草木を本尊とする宗教を樹立してみせることができると思っている。自然の宗教。その本尊は植物。なんら儒教、仏教と異なることはない。しかもこの宗教には三つの徳がある。
 第一に、人間の本性がよくなる。
 第二に、健康になる。
 第三に、人生に寂寞を感じない。

2006年3月20日