金言      
                          2006年9月8日         

黄花コスモス(きばなこすもす) 
 キク科コスモス属

 コスモスより葉の裂片の幅が広く、やや草丈も低い。花は一重か、舌状花弁が重なった半八重咲き。 
 花言葉は 野生美。


▼古くからの友人と、かつて足繁く通った小料理屋のカウンターに座った。二人でこの店の暖簾をくぐったのはおそらく昭和57年以来だと思う。最近、心の病を脱し回復著しい友人の話からは、向上心や野心などの心模様が、瑞々しい清流のように垣間見れる。それが心地よい。
▼カウンターの向こうでは、女将がタバコをくゆらせながら、黙って話に耳を傾けている。その粋なタバコの吸い方、昔と同じだ。
▼20年前、デスクに連れられこの店の暖簾をくぐった私たちは、「なぜ、私の提案がだめなんですか。」といつもムキになって先輩に食ってかかって勝手に盛り上がった。振り返れば、その不満を肴に酒を飲んでいたのだろう。懐深いデスクは、黙って日本酒をちびりちびりとどこまでも飲み続け、カウンターの向こうは、象のように優しい目をした若き女将がタバコをくゆらせながら、今宵と同じように私たちの話を黙って聞いている。何かを表現したいけど、思いだけが先行し、なにもできないもどかしさが常につきまとっていた。ふりかえれば、それを聞き入れてくれる先輩達の懐の深さに当時の私たちは辛うじて支えられ甘えていた。
▼ 友人の興味がカウンター横の古びた色紙に向かった。「あの頃から貼ってあった。同じだ。」
<この馬は四本(資本)の足が弱いので、駆け(掛け)はしません。>その筆文字の下に、かよわい馬の絵が描かれていた。

 女将が解説を始めた。色紙は女将が一人で店を開いた昭和56年のその日、姉が妹のために書いて贈ってくれたものだという。いまは亡き姉は、世間知らずの妹が店をうまく切り盛りできるか、不安だったのだろう。どうか、みなさん、ツケはせずに、いつもにこにこ現金払いで御願いしますね。 姉の金言は今も忠実に守られ、女将は自分のペースで店を切り盛りしている。

▼横で、友人が手帳を開く。そこには、病と格闘する中で、心に届いた金言が「忘れないように」と丁寧な文字で記されていた。
 <どうしようかと思うことがある。でも、できることしかできないと思ってやっている。・・・・
お前も自分にできることをやればいい>

この言葉を友人に渡してくれたのは7年先輩のA氏だ。今年1月末、復職した友人は、意を決してA先輩の部屋を訪ねた。ドキュメンタリストとして数々の傑作を送りだしてきた先輩は今、経営の中枢で様々な難題に取り組んでいる。


▼久しぶりの後輩の訪問に、A氏は「よくきてくれたなあ。」「よく復帰した。よくやった。」と笑顔で迎え入れてくれた。その時A氏から贈られた言葉が、その後の回復をさらに加速させてくれた。友人は何度もこの金言を披露する。
<どうしようかと思うことがある。・・・・でもできることしかできない。自分にできることをやればいい>
 
▼A氏が作った番組の中で、私は、「ふきのとうと童歌」という紀行番組が好きだ。出稼ぎにいった父の帰りを心待ちにする雪国の幼い娘の日々を、まもなく芽をだすフキノトウのさりげない姿をともに描いた映像詩は、素直に心を打った。「ばっけ、ばっけ、ふきのとう・・・・」番組で歌われた童歌の一節を今も口ずさむことがある。友人に与えられた金言には北国の雪の中にくるまり春を待つフキノトウのような暖かみがある


▼数日後、私は後輩達を連れて、この小料理屋を再訪した。友人と入れた焼酎ボトルを、ふるまいながら、激務の労を癒してやろうと思っていた。あの頃のデスクのように懐深く、ゆったりと話を聞いてやろうと思った。しかし、1時間後には、私は熱くなり、いつものように後輩達を罵倒し、混乱していた。思わず気骨ある後輩が「あんたの言っているのは方便ばっかりだ。30分前に言ったことと全く逆のことを言っている!あんたの方便にはもううんざりだ。」「こんな年寄りのいうこと相手にしなくていいよ。ぼくらはぼくらでやっていこう・・・・」・あああ、いつものように後輩達の嘲笑と怒りの中で、荒れた酒盛りとなってしまった。一体、自分の残り火をどうやって燃やせばいいのだろうか。病を脱して再び歩き始めた友人やA氏の孤高を思う。後輩達を鼓舞する金言などどこからもでてこない。
<どうしようかと思うことがある。でも、できることしかできないと思ってやっている。・・・お前も自分にできることをやればいい>
▼地下鉄の終点を降り、もどかしい気分を道連れにぶらぶら歩いた。団地前の暗い道に入ると後ろからポンと肩をたたかれた。同じ住民のBさんだった。「あす、テニス、公園ね。」 Bさんも千鳥足だ。並んで歩きながら、二日酔いになりませんように、といのった。 
2006年9月8日