庭の跡
         2006年4月16日         


 スノーフレーク snowflake
 ヒガンバナ科スノーフレーク属

 姿がスイセン、花がスズランに似ているのでスズランスイセンという名もある。中部ヨーロッパから地中海沿岸にかけて約10種類が分布する。日本で植えられているものの多くはオーストリア、ハンガリー、ヨーロッパ南部原産のもの。地中の球根から30〜40センチの葉と長い花茎を出し、その先端に数個の花を下向きにつける。
花言葉は、純粋、汚れなき心、慈愛、清純。


▼故郷の古い商店街に空き地がどんどんん増えている。街のメインストリートもシャッター通りになって久しい。最近のトピックは駅前通りの片面に大きなショッピングビルが建設されていることだろう。山陽本線の北側、高架となった線路沿いに地元の商店優先でテナントが募集されているという。上はマンションになっており、すぐに完売となったという。「投資目的ではないの。」と聞くと、そうでもないようだ。地元の人が購入しているのだという。

▼建設中の巨大ビルの通りを挟んで向かい側には、昔ながらの軒の低い商店が並んでいるが、歯が抜けるように店が消えていく。「山陽本線が高架になれば、この町も発展する。」かつて親父はよく言っていたものだ。確かに、高架になり、「大店規制法」が解かれ、町には大型店舗が次々に建てられている。しかし、帰郷するたびに、どうもこの発展の形が腑に落ちない。なぜ、せっかくアーケードまで造ったメインストリートの再生をさし置いて、こんなに大きなビルばかり建てるのか、行政のビジョンがよくわからない。もっと、、きめ細かく、これまでの通りを活かした、多様な発展の形はないものだろうか。天満宮に至るかつてのメインストリートに沿って平屋の店が並ぶ、横に広がるショッピングモールがあれば、障害者にも優しいバリアフリーも導入できるのに・・・。街に増える一方の高齢者達がぶらぶら歩き、あるいは商店街に備え付けのスクーターに乗って買い物したり、おしゃべりしたり、そんなのんきな空間はほんとうにできないのだろうか。一極集中東京での、森ビル型都市開発の手法がそのまま、教科書のように、この10万の街にも持ち込まれている。そこに独自の知恵が見えない、というと怒られるだろうか。

▼建設中のビルの向かい、空き地となった草むらに白い花が、輝きながら点在していた。この町で見かけることはめずらしいスノーフレークの花群れだ。茂みに入ってシャッターを押した。

▼撮影しながら思い出した。確か、このあたりには私が小学校の頃には、金物屋があった。その隣の大衆食堂の息子と同級生だった私は、よく、一緒に店の裏の路地を猫のようにかけまわり金物屋の木戸をくぐった。金物屋の裏には庭があって、そこには、様々な植物が整然と植えられていた。椿、猫柳、アネモネ、らっぱずいせん・・、そうだ、鶏頭の花のあの紅色は強烈だったなあ。友人はその庭にあった鶏小屋から卵をよく拝借してきたが、私にはそこまでの勇気も機敏さもなかった。
▼確かに、今、スノーフレークがぽつねんと地上に顔を出している、このあたりにあの裏庭があった。(・・・・・いや、思いすごしかもしれない・・・・・・。)

▼その後、あの賑やかな裏庭はどんな変遷を経たのだろうか。庭造りに精を出していた、右頬の下に瘤のあったあのおばあさんが消えた後、誰が庭の手入れを引き継いだのだろうか。昭和30年代にはなかったはずのスノーフレークの球根をこの庭に植えたのはどんな人だろうか。庭に植えられた球根は、こうして今も雑草の下で生きている(・・・・・いや、これも短絡的な思い過ごしだろう。・・いや、誰かが植えない限り球根はここにはない・・・・。・)

▼地下から律儀に顔を出すその追憶の鈴蘭に、春の斜光がふりそそいでいる。植物は経験を体内に積み重ねながら遺伝子を結節させていく。決して過去を切り捨てない。
2006年4月16日