芥川竜之介「侏儒の言葉」を読む @
2006年1月2日
「侏儒の言葉」は必ずしもわたしの思想を伝えるものではない。ただわたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すじの蔓草、ーー、しかもその蔓草は幾すじも蔓を伸ばしているかもしれない。
芥川竜之介
星
◇太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのはひとり太陽の下ばかりではない。
◇天文学者の説によれば、ヘラクレス星群を発した光はわれわれの地球へ達するのに三万六千年を要するそうである。が、ヘラクレス星群といえども、永久に輝いていることはできない。いつか一度は冷配のように、美しい光を失ってしまう。のみならず死はどこへ行っても常に生をはらんでいる。光を失ったヘラクレス星群も無辺の天をさまよううちに、都合のいい機会を得さえすれば、一団の星雲と変化するであろう。そうすればまた新しい星は続々とそこに生まれるのである。
◇宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火に過ぎない。いわんやわれわれの地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起こっていることも、実はこの泥団の上に起こっていることと変わりはない。生死は運動の法則のもとに、絶えず循環しているのである。そういうことを考えると、天上に散在する無数の星にも多少の同情を禁じ得ない。いや、明滅する星の光はわれわれと同じ感情を表わしているようにも思われるのである。この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。
真砂なす数なき星のその中にわれに向かいて光る星あり
しかし星もわれわれのように流転を闇するということはーーとにかく退屈でないことはあるまい。
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