ある本屋の心意気
                 2006年8月7日 

  鶏頭・鶏冠(けいとう)      Celosia cristata

 ヒユ科ケイトウ(ケロシア)属

 属名Celosiaは、ギリシャ語で「燃焼」の意味。
 和名(鶏頭)の由来は文字通り花房がニワトリのトサカに似ているところからでた。英名もCockscomb。中国の三国志の時代、呉、蜀の後宮に鶏冠の花が植えられ、後庭花と呼ばれていた。

     花言葉は、おしゃれ,感情的,奇妙,情愛,色褪せぬ恋

▼鶏頭の花の紅を見ると、決まって、瀬戸内の郷里のあの路地を思い出す。昭和30年代の初め、この鶏頭の花がブームになっていたのであろうか。どこの家の庭先にも、このどぎつい鶏頭がその存在を誇示していた。鶏頭の紅は郷愁に溢れている。

▼昨日、紹介した東君の著書「犯罪被害者の声が聞こえますか」(講談社)についての続きである。8月2日、朝日新聞の高知版にこんな記事が大きく載った。「犯罪被害者や遺族らが刑事裁判への参加や経済的支援などを勝ち取るための活動をまとめた『犯罪被害者の声が聞こえますか』が4月に出版された。この取材・執筆にあたった元NHKディレクターの東大作さんが来県し、1日に県警で講演した。東さんは被害者への豊富な取材経験をもとに支援の重要性を訴え、警察官らが真剣に聴き入った。・・・・」

▼東君の神出鬼没の行動力はちっともかわっていない。夏休み、カナダから帰国した東氏は高知を訪ねていた。なぜ高知なのか?

▼「犯罪被害者の声が聞こえますか」は出版直後から書評などで絶賛されたが、派手なテーマとタイトルを求めて次々と新刊が送り出されては消えていく昨今の出版界にあっては、いかにも地味な素材であった。東氏の社会正義感に常々一目置いていた大手出版社が腹を括って出版に踏み切ってくれたものの、重版までは・・・というのが本音だった。「あと200部売れないと重版はありません。」と出版社から東君に連絡があった。そうした通告をうけると、「仕方ないなあ」と引っ込んでしまうのが我々凡百であるが、彼はへこたれない。なんとか200部以上、売り切ろうと、自らの人脈を駆使して、すぐに動き始めた。
▼私に連絡があったのは一ヶ月前だったろうか、なかなか、妙案はでてこなかったが、軽い気持ちで、高知市の金高堂という書店に勤務している弟を紹介した。その後、音沙汰はなかったのだが、南国の地で東君の行動力が弟の情熱を揺り動かしていたことが、この記事で判明した。

▼東君は、弟とすぐに連絡をとった。私の弟は、兄がいうのもなんであるが、日本でも一二を争う、本の目利きである。もともと父母が書店を営んでいたので二人とも本に囲まれて育った。本のダンボールの山が最高の遊び場だった。返品の作業がカルタとりのように面白かった。
▼弟が、本格的な本の虫になったのは、高校時代だろう。毎夜、筑摩書房の文学全集を読みあさった。大学ではドイツ文学を専攻しトーマス・マンの研究に没頭した。

▼卒業後、弟が加わった郷里の書店は、あっという間に華やいだ。その品揃えの巧みさ、豊かさはまわりの書店を圧倒した。弟の話によれば、「書棚の達人」という職人が神田などの書店街にはいるそうだ。時代に迎合しすぎず、しかし時代の空気をしっかりと押さえ、ワクワクする個性的な品揃えをする達人、右の写真は、いま弟が高知でまかされている書店の書棚、一昨年前、高知を訪問した時に撮影したものだ。地味な哲学書から新刊まで、一つ一つに思いがこもっている弟の書棚が私はいまでも一番好きだ。


▼しかし、時代は、弟のような「虫」の思惑とは違う方向に動いていく。何時の頃からか、書店は雑貨屋やコンビニエンス・ストアのようになり、効率化の連呼の中で新刊の回転はどんどん速くなり、本は次々と捨て去られる消耗品となったいく。チャーン店の広がりとともに個性的な品揃えの街の本屋がどんどん看板を下ろしていく。

▼瀬戸内の郷里の本屋も今から10年前に看板を下ろし吸収合併された。根っからの本好きで、画一的な経営に見向きもしない弟は疎んじられ、郷里をでた。その弟の本に対する情熱を高く評価し招いてくれたのが、高知市の老舗、金高堂書店だった。この黒潮の地で弟は「本の虫」として蘇った。その波乱の半生を目撃しながら、私は効率第一主義の企業社会を生きていく上での大きな指針を与えられているように思う。大切なのは、扱う商品へのつきせぬ愛情である。小手先の経営術ではない。

▼さて、東君の情熱に一瞬にして共鳴した弟は、金高堂社長に掛け合い、200冊を買い取るとと宣言した。思いついたら止まらないところは、弟も私も同じである。また、そうした弟の提案を直ぐに受け入れる社長も懐深い。


▼ただ買い取るだけでは本は売れない。弟は思い切って、高知県警察本部の門をくぐった。その結果は地元紙に掲載された講演会となった。全国犯罪被害者の会を設立した弁護士の岡村勳さんが高知県出身ということも助けになり、講演は大盛況だった。弟は会場の入り口に本を並べた。「で、本は売れたのか?」「いや、売れんかった。」
▼かくして、高知県の金高堂書店は「全国犯罪被害者の会」の指定書店となった。ここに連絡すれば、東君の「犯罪被害者の声が聞こえますか」はすぐに手に入る。犯罪被害者関連の書籍も手に入る。200冊の本は直ぐには売れないかもしれないが、いつまでも書店の店頭に山積みされた本には心が通っている。消費者と生産者が即物的にぶつかりあい、商品が次々に流れて忘却される、昨今の巨大な流通システムには大きく欠けているものがある。じっくりと読み、これをぜひ読んでほしい、と店主が自信を持って書棚に並べる本には血が通っている。この本屋の志には即物的は効率社会の行き着く果てにある、未来の姿があぶり出されている。






▼全国各地の商店街で、踏ん張っている書店のみなさんに、あの鶏頭の花の情熱の赤を届けたい。
2006年8月9日