混沌の中での生き方
       2006年12月31日

 ▼昨年とうって変わって日本列島は暖冬の中、穏やかに暮れようとしている。各地で豪雪のニュースが伝えられた昨年と全く逆である。ここんところいろんな不順な天候に悩まされているが、昨年と今年をあわせると足し引きゼロ、長い目で見れば平均値、「なにごとも無きがごとく」ということか。

▼暮れの大きなニュースといえば、30日に流れた「フセイン元大統領の死刑執行」という速報だろう。 フセインの首に縄が掛けられる瞬間までの映像、「アラーの神は偉大なり」という最後の肉声が全世界に配信された。

▼「,'We got him' 彼を捕まえた!」連合国暫定当局(CPA)ブレマー行政官の高揚した声と共に「フセイン元大統領拘束」のニュースが飛び込んできたのは3年前の2003年12月14日の夜だった。その時、日本の茶の間は激戦のトヨタ・カップに釘付けになっていた。ACミランとボカ・ジュニアーズの試合は延長戦に突入しさらにPK戦にもつれ込んだ。バグダッドで緊急会見がはじまったのはその時だった。
「、'We got him'」の第一声に続いて、会場に用意された大型スクリーンに、拘束された直後のフセインの映像が映し出され再び喚声が上がった。イラクのジャーナリストがコブシを振り上げて「フセインに死を!」と絶叫をはじめた。
▼粗末なトタンぶきの泥小屋の下、穴の中から現れたフセイン元大統領の姿は、赤穂浪士に発見された吉良上野介のようだった。時あたかも12月14日、この奇妙なこじつけに納得したものだ。
▼ブレマー行政官は高揚した口調でこう演説した。
 「イラクの未来、あなた方の未来はかってなく希望に満ちたものです。独裁者は一囚人となったのです。
 経済は発展に向かいます。あなた方の前には、数カ月のうちに主権国家を持つという見通しが広がっています。サダム・フセインの拘束により、旧政権のメンバーには苦い敵対を終わらせる新たな機会が訪れたのです。 彼らには、和解と希望の精神で前に進み出て、武器を置き、新たなイラクを建設するという任務に向け、あなたがた仲間の市民に加わってもらいましょう。 
 今こそ、アラブ人、クルド人、スンニ派、シーア派、キリスト教徒、トルクメンら全てのイラク国民が平和に、隣人とともに、繁栄し民主的なイラクを建設するときなのです。」

▼3年前、会見場の外では高揚した市民が空に向って祝砲をあげそれがやむことはなかった。しかし、いま、フセイン死刑の報に市民は高揚することはない。報復の爆弾テロの恐怖に静まりかえった街の様子が映し出される。あれから3年後の今、イラクは“内戦状態”に向かっているという。 ブレマー行政官の思惑通りに事は進まなかった。

 一体、アメリカはイラクをどこまで理解していたのだろうか?

▼アメリカという巨大な国家が自ら掲げる「民主主義」を後進国に伝搬する「A→B」という単線のスキームは全くの空想にすぎないということを皆が共通に認識したのが、このイラクでの実験だった。
 AとBの間にはジグソーパズルのような複雑にからまった力関係と思惑がある。その複雑な行間を埋めるには、アメリカの掲げる単線型の統治装置はあまりにも短絡的だった。

 「自由と民主主義」をもたらすはずだったアメリカの戦後統治は、イラク人にとっては、フセインがやってきたことと大して変わらない、国民不在の、力任せの強圧政策だ、としか見えていない。フセインもアメリカも、イラク人を政策決定の中枢から排除してイラクの国富を独占するだけだとすれば、新旧の支配者はどこが違うというのか」                                                (「イラク 戦争と占領」酒井啓子著 より)

▼フセインが拘束されてからちょうど3年後の2006年12月14日、NHKクローズアップ現代は「イラク分裂の危機〜始まった石油争奪戦〜」というタイトルで、イラクの最新の実情を伝えた。
 ◇この戦争を始める前、米国はこう考えていた。「緊急支援さえすれば、イラクには豊富な石油資源があるのでこれを復興の原資としてすべてをうまく回せる」。しかし、その構想には、イラク国内に住むクルド、シーア派、スンニ派、各民族の複雑に絡まった利害対立の構図が視野に入っていなかった。フセイン時代、強固な独裁によって、彼等は押し黙ってはいたが、それぞれの民族内で緊密なネットワークを脈々と保持し続けていた。

◇フセイン政権は石油の利権を一手に握りそれにより国内を安定させていた。フセイン崩壊後、米国は独裁制再来を防ぐため、地方に権限を委譲する体制をとろうとした。その結果、クルド、シーア派など石油資源を多く持つ地域の民族は、油田は自分達のものだという資源ナショナリズムを強くしていった。さらに中央政府では、政府内で実権を握ったものが最終的にはすべてを握れるという妄想の中で、各民族から集まった代表は、自分達の出身母体の利益代表になっていった。

「『イラク社会とは何か』という判断を回避して、いっそ『社会』そのものを不在にしてしまえ、としたのが、フセイン政権だった。『社会』が不在なのであれば、国外から欧米型の教育を受けた者たちを移植して、欧米型の『市民社会』を新たに築けばよい、とするのが、米国のいわゆるネオコンたちが後押しする、在米イラク知識人である。
 だが実際に政権が倒れてみれば、『社会』は不在ではなかった。そして、そこではっきりと表出した『社会』とは、アメリカが最も見たくなかったはずの『イスラム』であった。」

                                 (「イラク 戦争と占領」酒井啓子著 より)

▼今月6日、米国の超党派の有識者グループ「イラク研究グループ」がイラク政策見直しに向けた提言を発表した。翌日、これをうけてニューズウイークがおこなった米国市民アンケートでは40%の人がイラクからの大幅撤退に賛成し反対の倍にもなった。    
「アメリカという国は重大な問題に際して、複雑な国内問題と子供っぽい感情を持ち込む国だ。」(ドゴール)
 中間選挙以後の米国は、イラクの治安というよりも自分達がいかに早く撤退できるか、ということに最大の関心を払っている。撤退の道筋を探る中でアメリカが打ち出す施策からはイラクの安定はもたらされない、という悲観論が蔓延している。
「9・11事件は中東問題をアメリカの国内問題に変えてしまった。そしてブッシュ政権は、それ以降。、『アメリカの国民がテロの不安に再び駆られることなく、安心して生活できるために、政府がそのために常に努力しているのだ、ということを示すために、中東でテロに対する戦いを継続していかなければならなくなった』のである」「イラク 戦争と占領」酒井啓子著 より)

そんな中での、フセイン元大統領の死刑執行だった。これがイラク安定への句読点になるのか?いや、全く逆の結果がもたらされようとしている。フセイン政権の庇護を受けていたのはスンニ派である。しかし、彼等の多く住むイラク西北部には石油資源がない。地方で進む民族間の資源ナショナリズムの勢力図の中で、石油をもたないスンニ派が「アメリカと戦った男、フセイン」を神格化し「フセイン死刑への抗議行動」にでることは十分考えられる。しかもその動きは、スンニ派が圧倒的多数をしめる隣国ヨルダンをも巻き込む可能性がある。

「 中東は来年、困難の多い年となるでしょう。国際社会が手を打たなければ、パレスチナ・レバノン・そしてイラクと3つの内戦の危機に直面するかも知れません。

  イラクでスンニ派、シーア派の対立が激化する中で、50万人を越える大量の難民が我々の国、ヨルダンに押し寄せています。我々はイラク難民に対して安全を提供する責任があります。しかし、これは我が国の政府に大きな経済的な負担となっています。深刻なのは水問題です。難民の流入で人口が増える一方で、すべての人達の喉を潤すのに十分な水を供給することができないという難しい問題を抱えています。
 又パレスチナの情勢も危険です。いまはパレスチナ国家の樹立に向けてパレスチナの団結が必要な時です。しかし今は最悪の状況と言っていいでしょう。対立するパレスティナの各派は互いを信頼していません。国際社会は問題解消に向けた空気をつくりださなければなりません。イスラエルとパレスティナは将来のパレスチナ国家のために和平プロセスを前進させることが必要です。
 イランは中東地域で重要なプレーヤーになろうとしています。イラクに関わっていますし、レバノンではヒズボラを支援し、パレスティナではハマスの後ろ盾となっています。イランの政策は存在感を示すためのものでしかありません。私はイランに対して対話こそが問題を解決する方法だと強く言いたい。」

 
      (ヨルダン・アブドラ国王の警告 12月25日放送「NHKBSきょうの世界」より)


▼「先の見えない混沌とした世界をどのように生きていけばいいのか」
 それを考えるとき、忘れてならないのが、3年前の11月、イラクの地に消えた二人の日本人、奧大使と井ノ上正盛書記官の存在だ。彼等はイラク戦争直後から、米軍と現地人の間を何度も行き来し、様々な復興・治安案件を並列処理し、そのプロセスの中に日本の役割を見いだそうとと忙しく動いた。
 現地の人々と企業さらにNGOを結びつけ、統治型の復興からは抜け落ちていくものを埋めていこうと縦横無尽にイラク国内を駆けた。その行動原理の中に、私たちは未来を切り開く第三の道筋を見つけることができる。
 「今、日本に最も必要とされているのは、定型化された考え方を墨守する減点主義に強い人々ではない。一度枠組みを取り払って白地にものを考える構想力と使命感を持った人々だ。
 規則や前例を組み立てていってその結果何ができるかという手法を逆にしなければならない。先にやるべきことを確定し、その目標達成のためにどのような手段と道具が動員できるかを考え、制度が不十分なら新しく作ってでも自分が設定した夢に向かっていく人間。こうした人々こそが今の日本外交にはもっとも必要だろう。」

                   (「砂漠の戦争〜イラクを駆け抜けた友、奧克彦へ」岡本行夫著)
▼奧大使のメールマガジン、 「イラク便り」の最後の号、
奧氏は「感謝祭とラマダン明けの休み」と題して、キリスト教徒の感謝祭とイスラム教徒のラマダン明けがこの年、重なったことに注目した。
 宗教は違っても、米兵と現地の市民たちがそれぞれ家族を思う同じ時間を持つことに思いを馳せた。0か1か、統治か従属か、キリスト教かイスラム教か、政府か個人か、消費者か生産者か・・・・こうした二者択一、二元論の発想では、あらゆるものが処理できないカオスの局面に我々はいる。二つの極点の間を埋めるために立体的に動き回ることが、今後ますます大切になっていくように思う。それほど大きな歴史の転換点に我々の人生は遭遇しているのだろう。
▼書いているうちにまた妄想の世界に突入してしまった。こんなダラダラした文章、だれも読まないのだろうが、個人の備忘録として、来年も一つづつ、草木の写真とともに積み重ねていきたい。

2006年12月31日