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             ナイスです!テニススクール
                2007年5月13日

 
 杜若・燕子花(かきつばた)
    アヤメ科アヤメ属

 植物学者の牧野富三郎博士によれば、カキツバタとは「書き附け花」から転じたもの。「書き附け」とはこすりつけることで、この花の汁を布にこすりつけて染める昔の行事に由来する。アヤメ属共通の特徴は花被片は6個、外側の3個が大きい。裂片は平たく、花弁のように広がる。
カキツバタはアヤメの仲間ではもっとも水湿を好み、水辺に群生することが多い。かきつばた(紫)の花言葉は、幸運。

▼近くの公園のテニスコートに空きがでた。ご近所さんもその時間は都合が悪いらしく、それならばと、かつての後輩に連絡をとると、うれしいことに直ぐに集まってきた。

▼40才を過ぎた頃、ニュースの企画班にいた。生活情報や文化ネタを多く手がける班だったが、ちょっと大きな事件が飛び込むと、我々の企画はすぐにとばされた。特に「季節の映像」というインターミッション映像は、まず、とばされる運命にあった。各地のカメラマンが、季節の花や風景を、嗜好を凝らして、撮影した映像は、なかなかのもので、それを丁寧に編集し、気の利いた文字情報を添える。わずか1分に満たない映像だが、私はすっかり「季節の映像」の制作が気に入っていた。
▼当時、新人のI君には、この頃、知り合った。地味な仕事にもひたむきに取り組む彼とはやけに気があった。細かい編集の方法やコメントの書き方など、彼に伝授しようと躍起になった。
その代わりにといったらおかしいが、学生時代テニスの選手だったI君が私にテニスを教えてくれることになった。はじめてラケットを握る私に、彼は根気強く一から教えてくれた。彼の指導は、駄目な生徒を決して責めない。良いところを見つけては「ナイスです。」とかけ声をかけてくれるので、私たちは彼のテニススクールを「ナイスです!テニススクール」と呼んだ。
▼次の年、私は広島に転勤となったが、幸運にも数ヶ月後、I君も広島に転勤してきた。私は、ここでもI君を育てることに躍起になった。番組の企画、ロケ、編集、音入れ・・・すべてに口を出し、彼を叱責した。しかし、そういう私の期待が裏目にでて、I君は燃え尽き症候群に陥り、退職した。
▼思い返せば、狭量な私の人格は、多くの人々を傷つけてきた。弟や息子や同僚達・・・・私は彼らの中に土足で踏み込み、彼らの善意や心意気を台無しにしてきたように思う。振り返ると、いまさら後悔してもどうにもならない足跡が、累々と蛇行している。
I君もその犠牲者の一人だと思う。

▼I君と共に広島で働いた後輩達が、テニスコートに久々に集まった。あれから10年近くにもなるのに進歩もしていない私のテニスだが、I君はあの頃のように「ナイスです!」と褒めてくれた。彼のような寛大さが当時の私にあったなら・・・。
▼広島に転勤するとき、ニュース企画班の後輩たちがテニスラケットをくれた。黄色いヤマハのラケット、ヤマハのラケットはいまは製造していないらしく、皆がめずらしがる。「わー、なつかしいですね。」I君がうれしそうにラケットを手にする。会社を辞めた後、随分、苦労してきた。その彼の人生に私も責任がある。これから少しでも彼の助けになりたい、と思う。

▼テニスの後、公園にあるアジア・レストランでビールを飲みながら、後輩達の談笑の中に入った。あの頃、20歳代前半の若者達も今は、それぞれ人生に荒波にさらされ苦労を背負っている。 彼らの愚痴や近況報告に耳を傾けながら、青島ビールを飲む一時はなんとも心地よい。


▼公園の水辺、カキツバタの群生に陽光が集まっている。その輝く清楚な紫が、I君の「ナイスです!テニススクール」によく似合うと思った。花言葉は幸運、今後の彼の人生の幸運を、このカキツバタに託したい。
                          2007年5月13日
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