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                愛別離苦
                2007年7月8日

 
     立葵
  (たちあおい)
   アオイ科アルテア属

ようやく、気品に満ちた立葵の花を、私なりに記録できた。夏の到来とともに、道端にすくっと伸びる立葵にはなんども遭遇したが、思い描く淡いピンクにはなかなか巡りあわなかった。
早朝、殺伐とした駐車場の溝の中から身を乗り出したその色合いは、これまで見た中では一番美しい。ゆっくりシャッターを押そう。
▼立葵の花言葉は、豊産・大志・灼熱の恋・野心・単純な愛・平安・威厳・高貴・野望、あなたの美しさは気品にあふれ威厳にみちている・・・・これ以上ない賛美の花言葉を得たのには、その素性も関係あるのだろう。
 立葵の花は、人類が愛でた最古の花の一つである。イラク北部で出土した6万年前のネアンデルタール人の骨の側にこの花が手向けられていたという。その後、立葵はインド・ミャンマーを経て、中国の四川省に伝わり、唐代以前は、蜀葵の名で、最高の名花とされた。日本には平安時代に伝わり、唐葵とよばれ、江戸時代から立葵となった。(「花おりおり愛蔵版」より)


▼君を失って一年、一周忌の会を終え、この机の前にいる。薄曇りの朝、道端で見かけた立葵の花写真を持ってきた。虚ろなその色が今のうら悲しさによく似合う。父を亡くした年、故郷ですれ違う人々が立ち止まり、丁寧に頭を下げて「日々、お寂しゅうなります。」と言ってくれた。当事者になってその意味が痛いほどよくわかった。亡くなった直後は、いろんな人々が訪ねてくれる。やがて、来訪者もいなくなり、静かな日々が巡りだすと、身近な人々に堪えがたい喪失感と苦しみが蓄積されてくる。身近な人ほどその堆積は重い。
▼葬儀の時、四十九日の法要の時、あれほど気丈だった君の最愛の人は、いま、その重みの中で、身もだえしているように見えた。「そんなに簡単に夫のことを忘れられては困るのよ。」と切実に訴えているようにみえた。その痛みは身内の者でないとわからない。
 君の兄さんも挨拶でこう言った。「私は父も母も、そして弟も失った。妹には悪いが、私も早く向こうに行きたいと思うことがある。」 君の自慢だった妹さんがこう言った。「最近、ふと、兄の声がどんなだったか、忘れてしまった、とふと焦ることがある・・・」その言葉を聞いて、君の義父さんが君の息子に呟いた。「おばさんにすぐに、とうさんの声が入っているVTRを送ってあげなさい。」
 君を失って一年、君と共に生きた人々はいまだ、逃げることの出来ない辛苦の中にいる。
▼私の隣にはヨコベエが座っていた。わが青春の神戸放送局で、その艶やかな容姿と明朗な性格で皆を魅了した乙女はその後、職場のエース・カメラマンと結婚した。しかし、彼女も早くして夫を失った。ヨコベエは君の奥さんの辛苦を充分に理解している。「夫宛の手紙やダイレクトメールが年々少なくなってくる。それを積み重ねてみるの。年ごとにどんどん薄くなっていく・・・・・。」


▼「愛別離苦」という四文字熟語を思う。親や兄弟、妻や子など最も愛する人と生別・死別する苦しみを示す仏教の言葉。こうして改めて書きだしてみて、「別離」という言葉にひき裂かれた「愛」と「苦」の両極、そのレイアウトが妙に気になる。むごい熟語だ。
 今、君の家族や兄さんや妹や義父さんや義母さんは、「愛別離苦」の荒波を漂流している。君の喪失は重い。


▼安心してほしいことがある。君の遺した二人の息子はりっぱに成長している。眩しいほどに。社会人35年やってきた眼力で、息子達は大丈夫だと保証する。長男は世界を代表する金融機関に就職が決まった。来年の4月からは世界各地を飛び回る忙しい日々が始まるだろう。「この子の体が心配で・・」おばあちゃんが言う。大丈夫です。難局に出会った時、これから彼を何度となく救ってくれるのは親父が示して見せた生き様です。最後まで逃げることをしなかった親父の記憶が彼の肩をそっと押してくれる。大丈夫です。

 「元気でやってるかい。」次男に声かけると、浮かぬ顔でこう話してくれた。「最悪ですよ。校門の前で事故っちゃって、これが原因で停学になりました・・。」 僕は無邪気でのびのびした君の次男が好きだ。こうして、冷静に災難続きの自分を語る高校生に大きな可能性を感じる。その風貌は、新人として僕たちの前に現れた35年前の君に瓜二つだ。


▼最愛の人を失った6万年前のメソポタミアのその人は、どんな思いで、立葵の花を手向けたのだろうか。
 愛別離苦。いまだ、漂流を続ける悲しい人類の暮らしの中、時にはっとする色彩に驚いて人は花に目を向ける。花は、いにしえから繋がる、もう一つの回路を浮かびあがらせてくれる。もう一つの回路、それは永遠に君と繋がっている回路だ。 
                          2007年7月8日
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