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             “数”の横暴

        2007年 7月30日

背高泡立草 (せいたかあわだちそう)
        キク科キク属
北米原産、いつ渡来したか不明だが、戦後、突如として異常発生した。まず京阪神で異常発生し、線路や道路に沿って全国に広がった。
 草丈は1〜3m、細くて硬い茎や葉は短毛におおわれている。茎の頂きに大きな円錐形の花序をつくり、黄色の頭花を多数つける。
 原産地のアメリカではゴールデンロッド(金の鞭)といい、アラバマ州などの州花になっている。
 セイタカアワダチソウは花粉症の原因といわれることもあるが、セイタカアワダチソウは虫媒花で、虫にくっついて広がり、風ではあまり飛ばないので花粉症の原因にはならないとされている。

 花言葉は、警戒・要注意。
 

▼背高泡立草の異常発生が飽和点に達したのは、高度成長の頂点、1960年代の終わりだった。エネルギー政策の転換の中で、九州の炭坑が次々と閉山された。そのさびれた炭坑跡に、このどぎつい外来種がぎっしりと咲きつめ、一面、黄色い、不気味な海を創出し背高泡立草は閉山草と呼ばれた。また、この時期、アメリカは、ベトナム戦争の泥沼に突入していた。その時期に異常発生したために、背高泡立草はベトナム草とも呼ばれた。
▼あの異常発生の風景をみれば、このまま、背高泡立草は、日本全土を一色に染めてしまうのではないか、とも思われた。しかし、そうはならなかった。今、背高泡立草は、ひなびた空き地で、他の植物系に同化して、見方によれば他種に押さえ込められながら謙虚に生きている。あの“数”の横暴で、日本各地を震撼した時期があったことも人々の記憶から忘れられようとしている。

▼組織にいると、自分の出身母体の勢力拡大にばかり気をとられ、常軌を逸した権謀術数に走る一派が必ずいるものだ。そう、 “数”の横暴で、自分とは違うものは徹底排除してまえ、という思い上がり・・・・・公園でいつも出会う、植物撮影愛好家のY先輩の話す組織論は含蓄があって面白い。60年代の終わりに神戸を中心に営業する銀行に就職した。会社勤めの30年は、合併に継ぐ合併の連続だった。しかし合併しても、それぞれj自分の出身母体がついて回った。「お前はKだな。」と出身銀行がイニシャルで呼ばれレッテルを貼られた。そのイニシャルゲームの生々しい話は、どこの組織にも通じるものがあり興味深い。

▼「数は力だ。」 という言葉を原動力にして動く、その象徴はなんといっても政治の世界だろう。その「数の世界」に昨日激震が走った。自民党が大敗し参議院での第一党の座を民主党に奪われたのだ。さらに、巷を驚かせたのは首相がいち早く続投宣言をしたことだ。「君が辞任する必要はない。ひるまずに改革を続行したまえ。」 誰かにそう促されたのだろうか、ここ数ヶ月で首相が見せる最も俊敏な対応だった。「私と小沢さんがどちらが首相にふさわしいか、みなさん、選んでください。」という演説はなんだったのか。巷は面食らっている。

▼自民党大敗を受けて、さっそく、様々な敗因分析が騒々しくまくし立てられる。首相の人事能力を問うもの、危機の際の管理能力を問うもの、民意の空気を読みとる能力を問うもの・・・・ここまで掌を返したように言うのか、と耳を疑いたくなるものもある。ならば、首相が勢いづいている時に、少数意見として論陣を張れよ、と言いたくなるが、その安易な他者批判が、現在のポピュリズムの正体であろう。

▼今回の結果を俯瞰してみれば“数”の横暴に対する制御が働いたということに尽きるのだと思う。郵政改革一本という異様な機略で圧倒的な議席を確保した先の衆議院選挙は、自民党員に
バブルの高揚をもたらした。「よし、いよいよ、好きなことが出来るぞ。」という上昇気運の中で、船長に任命されたものは、日頃から共に同じ釜の飯を食ってきた友人達に「いよいよ、僕たちが思う存分にできる時がきた。一緒にやろう!」と声をかけた。永田町という小さな村社会での共通の仲間達との連携はいかにも美しいが、それはそこだけの人間関係で、化学反応は起きにくい。異論を唱える余地はなく、美しく居心地のいいサロン思想が膨張していく。それは裏返せば、異論を唱える他者、育ちが違う者を排除する空気を醸し出す。
▼新政権がどんより空気を醸し出した最大のものは、通常国会での一七回もの強行採決であろう。成立された法の中味より、その採決の異様な風景が映し出されるたびに、それを見せられる人々の気分は後退していった。さらに「私の内閣」と何度も繰り返す首相の言葉は稚拙だった。数の横暴を見せつけられて、人々の気分が後退した。その時点で、バブルは崩壊していたことに、当事者達は気づかなかった。圧倒的な数を確保したその瞬間から、その派閥の衰退ははじまる。様々な組織が何度も経験してきた摂理だが、自民党という村で温かく育てられた二世たちにはそれが実感できない。

▼ 都留重人氏が言い残したように、「市場には心がない(2007年2月5日)」。市場経済は放っておいても膨張し、グローバリズムの方向に触手を広げる。しかし、確実に、市場経済から抜け落ちるものがある。福祉や社会保障など経済原理から抜け落ちるものを掬い取り処方箋をこうじるのが政治であり、政策である。自己責任の法則を掲げ、地方を抛り出した前政権に対して、現政権は強く批判し具体策を示さなければ成らなかった。公共事業をカットした後の地方の雇用創出についてのアイデアを明確に示さなければならなかった。中央に集中したアイデアや知恵を動員して、各地の実情に見合った新雇用創出の策を示さなければならなかった。それは中央の責任である。それを自己責任の名の下に地方に無作為に放りだしたのは明らかに時代遅れであり稚拙である。今後、次々と露わになっていくであろう、アメリカン・スタンダードの歪みは、言い換えれば社会保障政策の無作為・稚拙さによるものである。自由競争の名のもとに弱者への視点を失った政治の形は、20世紀の終わりと共に、終焉に向かっている。アメリカン・スタンダードの失敗までをも模倣してはいけない。
▼確かに、日本は、GNPが世界2位に成った時点で、護送船団方式から訣別し、世界スタンダードの市場経済システムに移行しなければならなかった。日本各地に背高泡立草が異常発生した時期、各地を染めた黄色の海は、日本へのイエローカードだったのかもしれない。しかし、日本は「日本株式会社」を解散することなく、そればかりか金権ばらまきへ日本列島を染めていった。この30年の間、無作為に終わったのは、市場経済膨張の潮流の中で、取り残された弱者への社会政策であり、そこに鮮度の高い知恵が注ぎ込まれることはなかった。

▼今回の大敗を機に自民党は、「数は力」バブルからの訣別宣言をし、「地方再生」と「弱者救済」へ向けて、少数派への具体的な施策提案をしてほしい。「地方にできることは地方で。すべては自己責任」という論調を卒業し、中央と地方の連携の新しい方法を示してほしい。当然、従来型の「ばらまき」ではない新しい策である。「数の横暴」という発想からは抜け落ちるニッチへ目を向ける度量が今改めて問われているように思う。「そんなことはお前にいわれなくてもわかっている。」という反論がすぐに返ってきそうだが、少なくとも、「少数派へ眼差し」が明確な言葉となって我々凡百には届いていない。それが確認されたのが今回の選挙結果だと思う。
                          2007年7月30日
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