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            母の未破裂動脈瘤

        2007年 7月3日


桂(かつら)
 学名:Cercidiphyllum
japonicum

 カツラ科カツラ属

そのハート型の葉が愛らしい。ハート型の葉っぱが並ぶ枝は去年の枝。今年の枝には卵型の葉が並ぶ。学名は、ハートの葉がマメ科のハナズオウに似ているので、Cercis(ハナズオウの葉)に由来している。
 落葉高木で、日本、朝鮮半島、中国に分布する。
 木材は建材、家具、鉛筆などに使われる。 花言葉は、不忠
 
▼ 郷里の母から、めずらしく切迫した電話が入った。・・・すぐに開頭手術を受けるように薦められた。ついてはお前の署名が必要だ。・・・なんの手術か?母は5年前、頭痛を訴え、地元の脳神経科で診察を受けた。その時、MRI診断装置で脳に直径2ミリ強の動脈瘤が発見された。頭痛との因果関係はわからないが、発見された動脈瘤は要観察ということで、母の病院通いが始まった。
▼最近、そのクリニックは新しいMRI診断装置を導入した。それで診たところ、動脈瘤の直径は5ミリになっていた。医師は、母に地元の県立病院でさらに診察を受けるように指示した。
▼クリニックの医師はその場で県立病院の脳神経外科部長に連絡をとった。クリニックの医師はかつて県立病院の部長をしていた。県立病院の脳神経外科部長は後輩ということになる。母はすぐに県立病院に入院して検査を受けた。今度はカテーテルによる血管造影検査であった。検査の結果、医師はすぐに開頭手術を受けることを薦めた。
▼あまりもの流れに母が混乱するのも無理はない。母からの電話に驚いて、帰郷した。

▼なにがどうなっているのか全体状況を把握したい、そう思い、クリニックを訪ねた。診察室に母と二人で入るや否や、その医師は不機嫌に叱責をはじめた。「私は5年前からお母さんの病状については丁寧に説明している。しかし、息子である君は何の音沙汰もなかった。いまさら突然現れて何ですか・・・」 といった話だったと思うが、こっちは想定外の医師の対応に唖然とする以外になかった。ここにきて急に動脈瘤が大きくなったということは危険である。手術を受けるべきだが、手術には開頭手術と血管内からコイルを入れて瘤を防ぐ手術を二種類ある、それぞれに長所も欠点もある・・・・という説明をなんとも投げやりな言い回しで医師はしゃべった。

▼県立病院では開頭手術しかおこなっていない。ほっておけば、母は直ぐに入院し直し、開頭手術を受けていたであろう。
▼そのクリニックの医師の動転した対応、あまりにも唐突な手術への段取りに強い不信感を持った。母に上京してもらい、専門医に改めて診察してもらいます、と医師に宣言した。

▼誤解を恐れずに言えば、私は郷里の医療体制に不信感を抱いている。それは総合病院の外科医を頂点とする治療体制がピラミッドのようにあり、開業医から県立病院に回された患者の最大の治療は手術と相場が決まっている。例えばガンの場合、まずは抗ガン剤、ホルモン剤などで患部を押さえ込んで手術へなどという複合的な治療スキームが示されることは少ない。それぞれの治療はあるが、それらがバラバラで統合されていない。患者の最良の治療は年齢にかかわらず手術だと相場が決まっているようでもあり、手術のあとのケアがシステム化されていない。
「県立病院に入ればすぐに体を切り裂かれ、抛り出されるぞ」とはかつて父が入院した際、隣の病床の老人がささやいた。「悪いことは言わない。おれを一緒に逃げよう。」 この話を父から聞いた時は笑い流したが、後日、笑い話ではすまされない現実を、私は父のガン治療を通して目撃した。もっと多様な治療の道筋があっていい。今回の母の動脈瘤に対する、地元での医療の流れも合点がゆかなかった。

▼1週間後、母と共に東京慈恵会医科病院の脳神経外科の脳血管内治療センターを訪ねた。郷里のクリニックでのMRI検査・県立病院での血管造影写真も持参した。
▼母も私も手術は覚悟していた。手術の方法は、開頭手術(クリッピング手術)か血管内手術(コイル塞栓手術)である。郷里では開頭手術しか選択肢はない。日本では8割が開頭手術である。私と母は、母の年齢からしても頭を開かず負担も少ない血管内手術を望んだ。慈恵医科病院にはその第一人者がいた。運良く、そのM医師の診察を受けることができた。

▼持参したデータを渡してから診察室に呼ばれるまで随分時間があった。ようやく、呼ばれて診察室に入った。まだ、若いM医師はずらりと並べた写真を前に物静かに話してくれた。・・・・写真を拝見したが、これだけで瘤が急速に肥大したとは言い難い。我々の病院の基準をもとにアドバイスするなら、すぐに手術するよりもしばらく経過をみることを薦める。・・・・・そう言って、医師はこの病院での治療方針の基準を示してくれた。「動脈瘤の大きさが5ミリ未満の場合は定期的に画像で評価しながらの経過観察とする。5〜10ミリなら患者との相談で判断する。11ミリ以上なら治療適応とする。」 未破裂の脳動脈瘤の治療方針は、各施設によって様々である。施設によっては5ミリ以下でも手術を薦めるところがある。その場合、患者は何を基準に自らの治療を選択すればいいのか、郷里の病院ではそのデータが示されず面食らうばかりだった。
 その意味で、この病院が、過去の治療例をもとに示した治療方針は極めて明確で分かりやすかった。
▼「私たちの病院の基準では、おかあさんの瘤は青信号から黄信号、経過をみることをお薦めします。」M医師が明確に母に語りかけると、母は溜まっていたものを一気にはき出すように泣き出した。
▼たかが未破裂の動脈瘤かもしれないが、すぐに開頭手術を薦められて以来の母の不安の胸の内を改めて知らされた。と同時に、セカンド・オピニオンの大切さが身に染みた。
▼今回、手術を選択しなかったことがひょっとしたら裏目にでるかもしれない。しかし、訳もわからず手術台に横たわる精神的苦痛のことを考えれば、今回の選択に母も私も後悔はない。これから半年に一度、母は上京して、検査を受けることになった。

▼「こままにしていたらくも膜下出血になるかもしれないし、ならないかもしれない」という曖昧な状況の中で、治療を決めることは患者のみならず医師にとっても実に悩ましい。予防医学が進めば進むほど医師も患者も新たな悩みにさらされることになる。
▼しかし、その時、医師が患者を少しでも見下す態度、「どうせ難しいことはわからないだろう。」という空気を醸し出したら、患者の不安は一気に高まる。どうも、地方で一人暮らしをする老人達と接する開業医には患者を高見から見下ろすような目線が、なおもあるように思えてならない。医師のプライドが壁となり、それぞれの患者にとっての治療選択の可能性が閉ざされているのではないか。そんなことでは、予防医学は、高額の医療費を貪り食い、安易な贅沢を開業医に与えるだけで、なんの意味もない。
                          2007年7月3日
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