山頭火・句碑探訪 A 2007年 9月12日
春風の鉢の子一つ
<建立場所>
愛媛県松山市御幸一丁目
<建立年月日>
昭和48年3月21日
◇「一草庵」にあったもう一つの句碑。射し込む夕光が安山岩の句碑を際だたせているが、残念ながらピンぼけである。肝心の、山頭火自筆の句が滲んでしまった。
◇山頭火研究会によれば、この句碑は、山頭火の三十三回忌と定本山頭火全集(春陽堂)出版完成を記念とし、大山澄太氏が建立されたものである。
◇ご存知の通り、山頭火は人生の多くを托鉢姿であちこち放浪の旅をして過ごした。
行乞(ぎょうこつ) 念仏を唱え鐵鉢の中に投げ込まれた小銭で生きてゆく・・・・考えてみればこれほど気ままな日々はない。
「私はまた旅に出た。愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方はないのだ。」
妻子との慎ましい生活をぽいっと捨て、すぐに旅に飛び出すどうしようもない男である。しかし、一人旅に出て、自由で屈託のない句が次々と生まれるとなると、なんともこの男、のような放浪の旅にあこがれてしまう。山頭火とは不思議な詩人だ。
ふと気が付くと、山頭火の句集をペラペラめくる夜が最近多くなった。
◇ 遠く離れて暮らす息子にとって、父が一代で築き上げた本屋をいとも簡単に手放し、あっという間に引退してしまったことはいまさらながら不思議で仕方ない。どう考えても得にはならない条件で営業権譲渡し、しかも準備の時間もなかったために経理上での不備があり、しなくてもいい借金を抱え込むことになってしまった。その後、その経緯を詳細に調べたが、一番、損をしたのは父と母であった。どう考えても、父はやけになったとしか考えられない。
◇店を手放した後、父は陶芸づくりに没頭した。ある時、出来上がった作品の一つを父が見せてくれた。そこに「雲の如く行き 水のごとく歩み 風の如く去る」と書かれていた。
◇句碑に書かれた「春風の鉢の子一つ」の句は、「雲の如く行き・・・・・」に繋がり、放浪の旅をまとめた「行乞記」の冒頭を飾っている。あらゆる世事のしがらみから抜け出して、旅に飛び出した山頭火の高揚が伝わってくるようである。
今になってようやく、陶器にこの句を記した時の父の複雑な心境がわかるような気がする。
春風の鉢の子一つ
秋風の鐵鉢を持つ
雲の如く行き
水の如く歩み
風の如く去る
一切空
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