秋桜日和
2007年10月1日
▼秋桜の咲き乱れる公園の一角、「こういうのを秋桜日和というのかな。」 前を歩く鹿間さんはそう言って私を振り向いた。首からぶら下げた年代物のライカが桃色の秋桜の花をかすめた。
▼電機メーカーの総務畑一筋に35年勤め上げた鹿間さんは、この夏、無事定年を迎えた。子会社への再就職の薦めはあっさり断った。「もういいよ。これまでとまったく違う仕事をさがすよ。」といい、とりあえず無職の日々を送っている。 決して悠々自適とまではいかない家計だが、もうこれ以上、会社の論理の中に身を置くのはいやだーーーと春、花水木の前で、ライカのレンズを覗きながら鹿間さんが呟いたのを思い出した。
▼退職した次の日には、夫婦で関越沿いの温泉まで日帰りドライブに出かけようと鹿間さんは随分前からに決めていた。いよいよ、その朝、鹿間さんは出発予定の15分前に団地に自家用車を横付けして、奥さんが降りて来るのを待った。
「ところが約束の時間を過ぎても降りてこない。ようやく降りてきたのは予定より20分も後だった。」
退職後の最初の平日の予定を詳細に頭の中でシミュレーションしていた。この時間に出れば、環七の渋滞は回避でき、あの路を通れば、何時に温泉前に到着し、そこで余裕を見て2時間、温泉に入り近くの蕎麦屋に立ち寄って、高速に乗れば夕方6時には帰宅できる。そうすれば、サッカーの生中継に間に合う・・・・・・その分刻みの予定をたてる回路は総務畑一筋の中で、自然に身に付いていた。隙のない段取りづくりにには一目置かれていたと自負している。この緻密なスケジュール管理を最初からぶち壊されてしまったのだ。
▼ 「お前、なにやってたんだ。いい加減にしろ。」と奥さんを思わず怒鳴った後で、鹿間さんは思った。これが定年後の暮らしだ。妻と二人で一日中、同じ時間を共有するとは、こういうことなんだ。常に納期までに完璧な段取りと効率的な動きを強いられてきた35年だった。しかし、この間、妻は、自分とは全く違う生活空間、文化の中で生きてきた。妻のほうにも、今後、一日中、家にいる自分にたいする違和感や不快感を感じることも多くなるのだろう。定年後の初日、鹿間さんはこの溝を身に染みて感じた
。
▼「君のように行き当たりばったりも必要かもしれないなあ。」
本気とも冗談とも判別できない呟きに、思わず吹き出してしまった。
鹿間先輩ほどの切実さはないにしても、こちらも定年を数年後に控え、これまで身に染みついた会社の論理を、少しづつふりほどいていかなければと思っている。自律した精神を持つジャーナリストになろうと腹をすえて選んだ道だが、いつの間にか企業の論理に振り回され、思わず、後輩達に訳知りの暴言を吐いていることが最近多くなった。人の言葉に耳を傾けることも少なくなったように思う。この慢心だけが、定年後、全ての肩書きが消え去った後も居残っているとしたら、情けない。
▼「秋桜日和だねえ。」 前を歩いていた鹿間さんが、立ち止まって、二輪並んだ桃色の秋桜の花弁に続けざまシャッターを切った。その後で、自分もまねて、その花に向かった。何の変哲もない秋桜だったが、鹿間さんはこの二輪の花に夫婦の姿を重ねあわせたのかもしれない、とふと思った。
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