山頭火・句碑探訪 C 2007年 11月25日
ふるさとの水をのみ水をあび
<建立場所>
山口県防府市戎町1丁目
防府駅前
<建立年月日>
昭和60年1月12日
<建立者>
防府中央ライオンズクラブ
<揮毫者>
自筆集字
<碑石の種類>
伊予青石
◇自由律詩人・山頭火は、私の少年時代の故郷ではぞんざいに扱われていた。山火頭の通った小学校や高校の後輩となったが、その間、教師から山頭火の話を聞いた記憶はない。バブルの時代になって、町おこしの気運と共に、地元でも一気にブームが起きたが、たまに帰郷し山頭火愛好家を名乗る地元の文学青年から聞く話は、いずれも奇妙な権威への憧れにまみれ、聞いていて心地よいものではなかった。
◇郷土の偉人となった山頭火は、駅前のりっぱな銅像となって帰ってきた。その厳粛な井出達に、郷里の人々の気負いを感じる。「我々は決して貴方を疎んじてはいません。温かくお迎えします。」
◇山頭火の実家、種田家は地元の資産家で大地主であった。しかし、山頭火が松崎小学校三年生の時、母・フサが古井戸に飛び込み自殺したのを引き金に一家の転落がはじまり、山頭火が満34歳の時、種田家の人々は故郷を追われるように夜逃げして離散する。
「ひとには迷惑をかけ、けじめもなく、自分勝手で、あそこの息子はホイトウじゃ・・・・。」これが嘘偽りない当時の地元での評価だろう。
◇山頭火ブームに乗って、駅前に建てられた銅像は厳粛な修行僧だが、これを見た山頭火は思わず逃げ出したくなるにちがいない。実際の山頭火はだらしないのんべえで、ひとには迷惑のかけっぱなしで借金ばかりしてぼろぼろの着物をだらしなく着て、酔っぱらって路上に寝る、どうしようもない風体だった。 しかし、一旦、権威化されると地元はこんなに見事な銅像を造り偉人として奉る。故郷は心の拠り所であるが、その一方で権威に弱いどうしようもない俗物根性の集散場でもあるらしい。もし仮に、よれよれの着物姿で、道端に佇み、ふるさとのわき水を貪るように飲み干す姿を銅像とする創意があったなら、まだしも、山頭火は、逃げ出さずにすんだかもしれない。
故郷忘れがたし、しかも留まりがたし 山頭火
◇駅前の銅像についてはあまりしっくりこないが、その下の句については、善いものが選ばれたと思う。各地の山野を放浪する山頭火にとって、水はその流転の象徴であったに違いない。しだれとなってふりつける水、湧き出る水、酒となり寒い体内を駆け抜ける水、そして老いた肉体を温かく包んだ温泉・・・・山頭火は水と共に流転した。そして、その源に、産まれ育った防府の水があった、と言われても素直に頷ける。それほど、防府の湧き水は実にうまい。それに、市内を流れる佐波川、その支流の迫戸川・・・・故郷を走る清い水路の恩恵を受けて人々は暮らしてきた。
その故郷の水を源に山頭火の旅は水と共にあった。
へうへうとして水を味ふ こんな時代は身心共に過ぎてしまった。その時代にはまだ水を観念的に取り扱うていたから、そして水を味ふというよりも自分に溺れていたから。
腹いっぱい水を飲んで来てから寝る
放浪のさびしいあきらめである。それは水のやうな流転であった。
岩かげまさしく水が湧いている
そこにはまさしく水が湧いていた、その水のうまさありがたさは何物にも代へがたいものであった。私は水の如く湧き、水の如く流れ、水の如く詠いたい。 (昭和6年3月30日 山頭火)
※参考(山頭火句碑集 発行者:山頭火ふるさと会)
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