「消えた花園」 追悼展
                2007年1月6日

 
























▼植物写真を撮り始めてもう何年になるのか、ずぼらな私の撮影場所は、主に練馬区の光が丘公園と新宿の御苑、そしてもう一つ、郷里の実家近くの小さな田圃の一角だ。東京の二カ所は、休みの日、ぶらりと歩き、もう一つのポイントは帰省したときに立ち寄る。三つ目のポイントは東京の公園とは比べものにならない小さな一画だが、ここで見つけた草花は巨大公園に匹敵する多様性を披露し、お気に入りの写真も多く生み出してくれた。
▼上の写真は、その田圃端の夏の風景だ。またもや父母の話で、うんざりとさせるようで恐縮だが、引退後の父は実家近くに小さな土地を借り畑を耕した。毎朝、家から鍬とバケツ、それに古いひしゃくを乳母車に積んで畑に向かった。その途中に、この田圃があった。その田圃には毎朝、N婆さんがいて、すっかり曲がった腰をさらに小さく丸めしゃがみ込んで草むしりをしていた。父が通るとにっこり笑って迎え、しばらく何気ない会話を楽しんだ。父は婆さんの田圃端の水路に柄杓をつけて水を汲んだ。
▼父の自慢の畑を見に行こうと、ついていったのはもう6〜7年も前になるのか。その道すがら、このN婆さんの田圃で立ち止まってにこにこ話をする父の横で、何気なく目の前の草花にレンズを向けたのが始まりだった。

◇春。
田圃一面をキンポウゲの黄金色が光を受けて鮮やかに映えた。その中に僅かではあるが咲き誇るレンゲソウの淡い紅が郷愁を誘った。N婆さんの昔ながらの田圃はキンポウゲやレンゲソウを堆肥にして土地を肥やした。








 水辺に頭を出す、つくしんぼ。ホトケノザも健気に凛と背伸びした。















































◇初夏にはアガパンサスの淡いブルーがゆっくりと風に揺れた。田圃の周囲の生け垣には、小手毬の花列が清楚に可憐に咲きそろった。


◇秋、実りの稲穂の下、水辺に白いタマスダレ、緑の中に点在する白い姿は、まるで星屑のようだった。
 
やがて、そこからほど近い畦道の四つ角に、赤い花が数輪、彼岸にあわせて咲くその花の不思議を母は詩に詠った。この場所で、彼岸花の紅にレンズを近づけ撮影を始めたとき、背景の水面に光が射し込み、その反射光が花を照らした時の驚き、忘れられない一瞬だ。


▼今、改めてこの小さな花園で撮した写真を並べていくと、怒りに似た複雑な感情に襲われる。その花園は、確かに1ヶ月前にはあった。母の葬儀で帰省した際、私は間違いなくその垣根で、椿の紅を背景に咲き並ぶユキヤナギの小さな花列を撮影した。ところが、今回、帰省すると、その花園が根こそぎ消えていた。根こそぎ、まさに根こそぎだ。カメラを担いできた私は、初め、方向を失ったとウロウロしたのだが、間違いなくこの場所であった。この場所・・・・そこは真新しいアスフアルトが敷かれた駐車場に変わっていた。

▼父も母もいなくなった今となっては、「なぜ、田圃は消えたのか?N婆さんはどうなったのか?」すぐに教えてくれる人はいない。その時は、唖然として、そこを立ち去ったが、帰京して今改めて花園の草花の姿を集めていくと、「だれがそんなことをしたのか?」無性に確認したいと思う。今度、帰郷したら、その経緯を徹底して調べたい。




▼父がなくなる数ヶ月前、父の畑の地主が、そこにアパートを建てるのだということで、畑は返した。父が亡くなった数日後、そのアパートとなった畑の姿を確認しに行った。その帰り、相変わらず、Nさんが田圃にしゃがみ込んで丸い背中をさらに小さく丸めて草むしりをしている姿を遠目でみた。いつまでも長生きしてほしいと心から思った。

▼今、忽然と姿を消したNさんと彼女の分身のような田圃。その消滅のいきさつは後日報告するとして、この小さな消失こそ、大袈裟に言えば、日本社会が今刻々と失っているかけがえのない遺伝子なのだと痛感する。田圃の草花はNさんやさらにその先祖が稲穂を取り囲むようにして植えたものだ。こんなに小さな一画にも、自然を受け入れ共生する日本人の英知が込められている。今はやりの温暖化も、この田圃と花園が消失したことでまた一つ進むことになった。アスフアルトのかさぶたをかぶった大地はもはや呼吸しない。酸素を吸って二酸化炭素をはき出し、その一方で二酸化炭素を吸って酸素を生み出す循環が死んでしまった。そうしたかけがえのない仕掛けを失うことへの想像力のないまま、故郷の土地は次々とアスフアルトのかさぶたをかぶり、息を止める。おまけに人は減っていく。そのうち、誰もいなくなり、アスフアルトの空き地が荒涼と続く風景だけが残るのではないか。情けない話である。


▼惨憺たる気分と共に、空き家となった実家に向かっていると、遠くにAさんの姿があった。息子は一流大学を出て外資系の会社で働いている。早く奥さんを亡くし独り暮らしだ。Aさんは毎朝、袋を下げて町内を歩く。歩きながら道端に散るゴミを拾って歩く。父や母が生きている頃から続けられている日課だ。畑を耕した父が逝った。庭だけではなく道端にも花を植えつづけた母も逝った。そして、あの豊かな花園の主だったNさんも消えた。Aさんにはなんとしても長生きをしてほしい。












                          2007年1月6日
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