“小さな人間”の力
2008年2月3日
▼2008年2月3日、節分の日。東京は2年ぶりの雪景色となった。地面に白いベールが敷き詰められたのを見計らって、降る雪の中、公園を歩いた。
▼人気のない公園のケヤキの樹の影から、なにやらきしむ音がする。まもなくその音の主が現れる。
おそらく姉と弟だろう。二人は無言で,、大きな雪玉をゆっくりゆっくり、力をこめて一押し、二押し、それに応えるように土まみれの雪玉は、キューッと頼もしく軋んだ。
二人の頭の中には、どんな雪だるまが出来上がっているのだろうか。
▼雪の中、公園のあちこちで、“小さな芸術家たち”は冷気をもろともせずに、懸命の作品づくりに余念がない。
「この光景に、あの文章を重ねよう。」とふと思った。
▼昨年、逝った小田実の絶筆となった「世直し体観」の次の一文、2008年の雪景色に重ねよう。
「デモクラシーは、ギリシャ語でいうならばデモス・クラトスです。デモスとは民衆です。クラトスは力です。
民衆の力、
ひところベトナム戦争反対運動が盛んだった世界で、よく「People’s Power」という言葉を使いました。
デモクラシーは「People’s Power」というのは、まったく正確な訳ですね。「People’s Power」とは、デモス・クラトスです。
要するに「小さな人間」が持つ力、それを実現するのがデモクラシーだということが民主主義の一番根本の原理です。
これを忘れてはいけないですね。」
「・・・私が長年考えてきて、いろいろなことをやってみて、ひとつの結論はこうです。
『大きな人間』という存在が、その大きな力を行使して政治や経済、文化の中心をかたちづくる。
それに対して『小さな人間』が何をするか。 『大きな人間』が、個人の問題としても、制度の問題にしても、必ずしもいいものをつくりだすとは限らない。
めちゃめちゃをするということが必ず起こってくる。
それに対して『小さな人間』が、デモス・クラトス、自分達の小さな力を信じて、反対する、抗議する、あるいはやり直しさせる、是正する、あるいは変更する、変革する、
それが『小さな人間』のやることです。私はこれがデモクラシーだと思うんです。
デモス・クラトスが『大きな人間』の過ちを是正する。」
「 『大きな人間』は『大きな人間』がつくりあげた勢力、組織、運動、さまざまなもので『小さな人間』を巻き込んで粉々にする恐れをもっています。『小さな人間』は、どうせ巻き込まれるのだけれど、巻き込まれながら巻き返すことが、私たちの根本にある倫理・論理ではないかと、私は考えています。 」
(「世界2007年12月号」
遺稿・世直し大観より)
小田の中には、群衆の声がある
(鶴見俊輔)
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