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       諸葛菜の大地が引き裂かれた

        2008年5月16日            

 諸葛菜(しょかつさい)
 紫花菜(むらさきはなな)

アブラナ科ムラサキハナナ属
別名、大紫羅欄花(おおあらせいとう)。ハナダイコン、オオアラセイトウとも呼ばれる。
 元々、中国原産。帰化植物として広く野生化しはじめたのは太平洋戦争後。戦争で中国で行った人が持ち帰ったために、急速に広がったともいわれている。戦後、特に東京を中心にして広がっていった。
 毎年、千鳥ヶ淵の土手では、桜の白と、菜の花の黄色と、紫花菜の紫が層をなし、花の虹が生まれる。
花言葉は、知恵の泉・熱狂・優秀












▼この春、中国内陸の大地には、淡い紫色の花菜が咲き乱れていたはずである。その花を、諸葛菜(しょかつさい)という。中国古代の三国志の時代, 蜀の宰相・諸葛孔明(しょかつこうめい  181−234)が出陣する先々で、この紫色の花菜の種を播いたことから、諸葛菜という名前がついたという。確かに、この菜の繁殖力はすばらしく、ほうれん草に似た味で食用としても充分いける。
▼劉備のもとで、諸葛孔明が駆けた蜀の大地は、現在の四川省である。それから1800年後、ここを大地震が襲った。その破壊力は阪神大震災の30倍というから、想像を絶する。5万人を越える死者がでるとも言われている。

▼テレビに都内のある四川料理店の様子が撮しだされる。ニュースの画面に釘付けの店員たちはみな四川省からの留学生だ。複雑な表情の若者達を元気づける女主人。四川料理の代表、「麻婆料理」はいまから100年前の清朝末期の成都のある老婦人が考案した家庭料理だそうだ。「麻」というのはあばたという意味があり、「麻婆」は「あばたのあるお婆さん」という意味になるらしいが、この災難の中でも威勢のよさを忘れないこの店の女主人の風情はまさに「麻婆」だ。

▼「麻婆料理」はいまや世界各地に広がり、国境を越えた共通の料理となっている。また、先日来のチベット騒動で露わになったように、なんと多くの中国人留学生が世界中にいることか。ネットワークの広がりと共に、人々は世界を自在に異動し、国家という枠組みが溶解しつつある。その中にあって、今回の大災害にあっても、中国は外国からの救助隊を容易に受け入れようとしなかった。昨日、ようやく日本からの救助隊を受け入れたが、もっと速く受け入れなかったのか、国境を越えた緊急救援のネットワークという、経済原理ではないグローバリズムの構築がなぜ速やかにできないのか。悔やまれる。

▼諸葛孔明は、今も中国の歴史上、最も理想的な政治家とされ、敬愛されている。その訳を、司馬遼太郎氏はこう解釈している。「孔明とその治政を後世にまで地元の蜀人や中国人一般に慕わせたのは、かれの法治主義が人民への愛憐を基礎としていたからであろう。さらには、孔明が稀有なほどに無私であることが、蜀人の肌身で感じられたからであろう。」(「中国・蜀と雲南のみち」)
 「泣いて馬謖を斬る」で有名なように、諸葛孔明は、腐敗する政治状況の中で、徹底した法治主義を貫き、法に反しものは愛弟子と言えども厳しく処罰した。立身出世というより、自ら描いた構想を実現することに邁進した。その多くは無私の構想でありそれが民衆にわかりやすく伝わった。戦場となった大地に紫の花菜の種を播いたのも、彼の頭の中に戦後の構想があったからであろう。

▼諸葛孔明が四川省各地に種を播いた諸葛菜は、戦時中、中国大陸に来た日本人に広まり、彼らが終戦後、日本に持ち帰り、あっという間に各地に広がった、といわれている。強靱なグローバルなネットは一介の市民の無数の手によって一気に広がる。今回、掲載した諸葛菜は、4月、東京、千鳥ヶ淵の土手で撮影した。春、日本の中心地を染めるこの紫は中国・四川省からきたもので、戦前にはなかった色世界だ。

▼諸葛孔明が今回の四川大地震に遭遇していたら、どう動いていただろう。おそらく、速やかに世界各地の救援隊を受け入れたにちがいない。その視線があったから二千年近い時空を越えて、諸葛孔明は民衆の中に生き続けている。

         ※参考「司馬遼太郎の世界10」(NHK出版)
              「三国志の世界」(講談社)
              「入蜀記」(平凡社)
     
2008年5月16日