草霊 2008年 6月28日
5. 春菊 遠い便り
小さな菜園に似合った出来栄え
▼実家の庭は青草で埋まり、摘み手を失った菜園の春菊には花が咲いていた。小さく開く黄花はそれはそれで可愛い。春菊の花言葉は「遠い便り」、なぜそんな言葉が添えられたのだろう。
▼母が逝った後、生前にも増して帰郷する機会が増えた。皮肉なことだ。亡くなる直前、母は自由律俳句に没頭した。逝く日も母は出来上がった同人誌の梱包作業に仲間達と精出した。そのよしみで、母の死後、地元で自由律俳句の普及に情熱を燃やす、書道家で俳人の富永鳩山氏と近しくなった。
先日、富永さんから知らせがあった。「お母さんの句が市民文芸賞の年度優秀賞に選ばれましたよ。」
▼母の代役で、授賞式に出ることになった。早朝、新幹線に飛び乗り、昼前に故郷の駅前の市民ホールに入った。会場では富永さんが 大きく手を挙げて迎えてくれた。エネルギッシュに自由律俳句の普及に邁進するこの俳人に出会えたことは、母が遺してくれた大きな財産だと思う。
会場には母の友達も大勢きていた。ここに母がいれば、皆でガヤガヤおしゃべりをして、授賞式が終われば、「道草喫茶店」と言われた実家の台所でコーヒーを飲みながらおしゃべりに花を咲かせていたことだろう。
▼授賞式の前に、他の部門の受賞者も集まっての記念撮影となった。私の横にTさんが並んだ。Tさんは、闘病中で病院を抜け出してやってきた。俳句づくりでは母の大先輩で「今度のおかあさんの句もいっしょに考えたのよ。」 道草喫茶店であれやこれやいいながら、句をひねり出す二人の風景が浮かんだ。母と並んで記念写真をとるようにTさんは代役の私の横にぴったりと寄りそった。逝った母のために寄せてくれたTさんの弔句を思いだした。
あなたのコーヒーで私は自由だった
▼受賞した母の句がどんなものかは、会場に来て初めて知った。
小さな菜園に似合った出来栄え
母らしい句だと思う。「おかあさんは、さりげない暮らしの一こまをさらっと詠うのがうまい人でした。」横にいた婦人が話してくれた。母が逝って半年、この街にはまだ母の余韻が漂っている。それが何よりうれしかった。
▼実家の縁側先の小さな一画に、母のつくった菜園がある。
摘み手を失った春菊に花が咲き、それらがそよそよ揺れている。
春菊、「遠い便り」という花言葉を持つ野菜。
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