草霊 2008年 10月30日
5. 群妙
▼郷里から一冊の句誌が届いた。「群妙」という。昨年の6月郷里の山口県防府市で創刊された自由律俳句の総合誌である。表紙を開くと、「群妙」についてこう説明がされている。
「群妙とはもろもろのすぐれた感性や人生観を持ち、持ちたいと願っている人達のつどい。なお、この句集は自由律俳句の応援団であり、自由律俳句を多くの人々に理解していただく運動体です。」
なかには、故郷の市井の人々を中心に、素朴で生活実感溢れる言葉が、文字通り、決まりのない自由なリズムと字数で、のびのび紙面を埋めている.,
▼私は、昨年亡くなった母を通して「群妙」の存在を知った。父を喪失した穴を埋めるように、母は自由律俳句に没頭した。「群妙」の創刊号づくりに参加した母は、出来上がった創刊号を自転車に積んで、売り回った。その生き生きとした販売活動に皆が目を見張った。父と書店を営んでいた頃のことを反芻するように自転車をこいで街を回る母の姿を想像すると、今も胸がせつなくなる。その頃から電話するたびに、
母は「群妙」のことを嬉々として語ってくれた。
▼亡くなる日、昨年11月17日も、母は昼間出来上がったばかりの「群妙」2号の梱包作業を手伝い、夜、電話でその模様を楽しそうに語り、掲載された自作の句を一つ一つ、読み上げ、丁寧に解説を加えていった。母は迫る死を感じ取っていたにちがいない、今、冷静になって考えても、そうとしか思えないほど丁寧に語った。そして、2時間後、脳内出血で突然、逝った。
▼母を通して、私は「群妙」の人々と近しくなった。気を衒い自分の才能を誇示することしか考えぬ文人もどきの凡百とちがい、この俳句に親しむ人々には肩の力を抜いた生活者としての確かな足場がある。過ぎゆく人生の一こま一こまをそっと掬い取り、ただ記録に残しておきたい、という素朴な発意が、身にしみた。
▼自由律俳句での母の友人の一人がTさんだった。葬儀の時、母のために詠んでくださった あなたのコーヒーで私は自由だった は忘れられない。「道草喫茶店」と呼ばれた実家の台所で、母の入れたコーヒーを飲みながTさんたちはおしゃべりに花を咲かせた。その楽しかった日々をこぼれるような笑顔でTさんは語ってくれた。
▼母の縁で、「群妙」を知り、その主宰者・富永鳩山さんの純朴な志に引かれ、素人ながら、稚拙な句を詠み始めた。高知に住む弟も句を作り、頻繁にメールで送ってくるようになった。一人暮らしの母の晩年に生き生きとした時間を与えてくれた「群妙」のためになにか恩返しできないものか、そう考えて、「群妙」のホームページを開通することにした。友人の助けを借りて作業をし、あす開通できそうだという日、郷里からTさんの訃報が届いた。
強がりが前のめり Tさんはここ数年、癌と闘っていた。しかし、弱音を吐くことはなく、いつも笑顔を絶やさなかった。6月、東京の芭蕉記念会館で開かれた「第一回東京自由律俳句大会」にも、病院から外出許可をえて、山口から上京し参加した。その時の句が強がりが前のめり
気丈な笑顔の向こうにあるTさんの辛い心にふれる短詩だ。
▼細かい修整を加え、本日、「群妙」のホームページを開通した。ぜひ、一度、アクセスしてみてください。氾濫する情報の海を泳いでいく日々の中、ふと、水面にあがって息継ぎするように、短い言葉をつぶやいてみるのもいいものです。よかったら、投句してみてください。ケイタイからもできます。五七五も季語のいりません。必要なのは「素直さ」だけです。
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自由律俳句クラブ「群妙」
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