チャン・イーモウの夢
2008年8月8日
ダリア
Dahlia Hybrids
キク科テンジクボタン属
キク科ダリア属の多年生草本。夏から秋にかけて色鮮やかな花を咲かせる。メキシコ原産。18世紀にメキシコからスペインにもたらされた。
ダリア(Dahlia)の名はスエーデンの植物学者リンネの弟子アンデル・ダース(Anders Dahl)からとったものだそうだ。メキシコの庭園にあったものは一重咲きだったが、その後交配が重ねられ、多彩な花弁の花になった。
日本へは1842年に渡来し、天竺牡丹と呼ばれた。
花言葉は、華麗・移り気・不安定・優雅・威厳・感謝・気紛れ・エレガンス。
▼八という数字は「末広がり」と言われ、縁起のいい数字とされる。漢字の形をみれば、下のほうにいけばいくほど広がることから来たらしい。Wikipediaによると、中国では、金持ちになる、という意味の「発財」の「発」の発音と「八」の発音が同じために、縁起のいい数字といわれる。
2008年8月8日、本屋に行ってみた。きょう発売の新刊、晶文社「植草甚一生誕100年 ぼくたちの大好きなおじさん」、縁起がいいので2200円のこの初版本をすぐに買った。
▼夜、現地時間の8時、つまり2008年8月8日午後8時、徹底した8づくしの時間に北京オリンピックの開会式が幕を開けた。3萬発以上だといわれる仕掛け花火の轟音、2万人が繰り広げる地響きのマスゲーム、どれもが意表を突く絢爛豪華の饗宴が、事前のチベット問題、四川大地震、経済混乱の暗雲を吹き飛ばし、世界中を、幻影の色彩オーラで包み込んだ。
▼この開会式の総指揮をとったのはチャン・イーモウ監督だ。1987年に「紅いコーリャン」(ベルリン映画祭金熊賞受賞)とともに忽然と現れた、この新進気鋭の監督のダイナミックな進化を、同時代の者としてしっかりと目撃してきた。そのひとつの結実がこの開会式の饗宴にあったと、いま、長い宴が終わった興奮と余韻の中で痛感している。
▼チャン・イーモウの原点は、1966年に起こった文化大革命にある。再教育という名目で若者は農村に送り込まれ厳しい労働に明け暮れた(農村下放)。その重労働の世界は色のない白黒の世界だった。このモノトーンの世界に色彩を持ち込むことが、チャン・イーモウにとっての自由だった。「紅いコーリャン」の中で、モノトーンに寒村風景に一際鮮やかになびく紅いコーリャンは、チャン・イーモウの自由への旅路の象徴だった。
▼数年前、「バルザックと中国の小さなお針子」という本が欧州を中心に大ヒットした。(草木花便り2003年10月31日 紹介)文化大革命の嵐が吹荒れる1971年、17歳と18歳の二人の若者が反革命分子の子として再教育のために、四川省の山岳地帯に送り込まれる。若者は、厳しい労働に明け暮れる中、村に唯一ある仕立て屋の娘に淡い恋をする。ある時、二人は禁書となっていたバルザックの小説を密かに手に入れる。そして、その禁断の書を密かにお針子に読んで聞かせる。この愛らしく清楚なお針子をバルザックによって気品あふれる貴婦人に育て上げたいという思いをこめて、毎夜、若者たちはバルザックの世界に酔う。美しい恋の手ほどきの物語がユーモアと詩情豊かに描かれていく・・・そして小説の最後は、お針子が一人、故郷を捨て都会へ向うシーンである。二人の若者は彼女を追い、引きとめようとするが彼女は決意を変えない。若者が問いかける。「君を変えたのは?」 彼女が答える。「バルザック。 バルザックは教えてくれた。女性の美しさは最高の宝物だと。」
▼貧村で厳しい労働に埋没した青春は、「自由への渇望」という起爆剤をセットした。その象徴が「バルザック」であり、チャン・イーモウにおける「色」である。「紅いコーリャン」以降、「菊豆」「紅夢」「初恋のきた道」・・・・とチャンイーモウが配した「紅」は、自由への象徴である。その後、彼の作品は次々とダイナミックに鮮やかに、ハリウッドのエンターテインメント世界を呑み込み、極彩色の自由への夢を手に入れた。それは、中国そのものが見せた、「夢の実現」だったようにみえる。
▼4時間もの開会式の一こま一こまに、総監督の並々ならぬ意図が込められ、すべてを凝視した世界中の視聴者は、鮮烈な驚きと共に、世界史のある瞬間の目撃者を強制されたのだと深い疲労感に包まれる。このような式典は今後も現れることはないだろう。21世紀初頭の世界が創り出した、ある完成された瞬間である。そして、当の中国でも、今この瞬間に集められ接点でしか生み出せない、これほどの国民のエネルギーの凝集は、今後二度とやってこないだろう。いま、全てを見終わって、そんな大きなため息をついている。
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