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    再録 忘れられない女(ひと)      
          2009年3月11日


 オトメツバキ /
 ツバキ科ツバキ属,常緑低木、八重咲きの椿。花弁が多く花心がない。葉はヤブ椿に比べて小さい。

夕方、各紙夕刊の一面の見出しは「お母さん、生きていますよ。」という大きな文字で躍った。
およそ30年前北朝鮮に拉致された田口八重子さん。その兄・飯塚繁雄さんと、長男・飯塚耕一郎さんが、釜山で金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員と念願の面会を果たした。1980年代の後半、北朝鮮で工作員の訓練を受けていた金の前に、日本語の教師として現れたのが、田口さんだった。二人は山奥の招待所に監禁されともに生活をしながら心を通わせた。
 拉致された田口さんが北朝鮮でどんな暮らしを送っていたのか、そして今の消息を知る貴重な人物として、飯塚さん達は金賢姫元工作員に面会を求めてきた。それが、今年に入って一気に実現する運びとなった。

▼二人の前に現れた金賢姫(キム・ヒョンヒ)は「抱いてもいいですか。」とささやき、耕一郎さんを抱擁した。そして、「お母さんは、生きています。」と断言し、「私が韓国のお母さんになります。」と述べた。
 6年前の2003年1月8日、この草木花便りに、金賢姫(キム・ヒョンヒ)が田口さんとの暮らしを書いた「忘れられない女」という本を紹介していたので再録する。

(2003年1月8日 草木花便り)
▼ あの大韓航空機爆破事件を実行した金賢姫(キム・ヒョンヒ)が特赦を受けた後、二冊の自叙伝を書き、その後、どうしてももう1冊書きたいと申し出たのがが「忘れられない女(ひと)〜李恩恵先生との二十ヶ月〜」<文春文庫>である。拉致問題が毎日報じられている昨今、李恩恵美先生が北朝鮮に拉致された田口八重子さんであることは多くの人に認識されているだろう。乙女椿を眺めていると、「忘れられない女」の中で描かれている、招待所で起居を共にした二人の風景を思い起こす。以下はその記述から・・・・
【先生と私は山で出会い、山で生活し、そして山で別れた。人里離れた深い山中の山賊の砦と変わりない招待所で彼女と一年あまりを過ごしながら、私たちはほとんど毎日、山の小道を行軍した。当時の日程表には"行軍″と書かれてはいたが、じつは通常の授業で疲れた頭を休めるための運動、つまり散策にすぎなかった。歩いて疲れると草原に寝そべって空のちぎれ雲を眺めたり、日が沈むころには鼻唄を歌いながら四つ葉のクローバー探しに熱中したこともあった。のどかな春になれば、彼女は名も知らぬ草花を摘み、私の指に合わせて茎を巻いて、花の指輪を作ってはめてくれたこともあった。「かわいいね。花の指輪は、派手な花よりこんな名前もないような草花のほうがぴったりするのよ」
 李恩恵先生は5歳ほど年上だったが、私よりもはるかに純粋な感情を見せることがあった。彼女のそんなところが、私は好きだった。私たちは花の指輪をはめ手を取り合い、鼻唄を歌いながら招待所に戻ったり、ある時は招待所まで息せき切って走ってきて、食事係のおばさんに花の指輪を見せびらしながら、「どう?」と自慢したこともある。「チッチッ、いつになったらわかるんだろうねえ・・・。まだ子供のままだよ・・・」おばさんは舌打ちして私をたしなめながらも、指輪を自分の指にはめてみて手を差し出したので、きゃっきゃっと笑ってしまった。・・・】

▼【彼女は酒に酔うと招待所の窓の外を眺め「うちの子供はいま何歳かしら?」と言いながら指折り数え、何も知れずに連れてこられた身の上を嘆いた。あるときには見るのもかわいそうなくらい悲嘆にくれ、悲しみ泣くこともあったが、そんなとき私は彼女の心をなだめようと一生懸命気遣った。
 しかし、私は恩恵先生の哀しみを完全に理解するにはあまりにも若すぎた。革命性・思想性の強化に明け暮れて育った分別もつかない娘だったので、私にできることといえば、せいぜい彼女の気分をなだめて涙をとめさせようと努力するくらいのことしかなかった。
彼女の身の上は一人の人間として気の毒とは思ったが、わが民族の分断に重大な責任のある日本人が、統一のために一人くらい犠牲になることは甘受すべきだと考えていた。
李恩恵の問題に関しては、常に正しくて賢明なる党が、よく考えた末に指示したことであろうと考えていた。・・・・彼女はいやだという私をつかまえ、二人だけでいたいと言い、加藤登紀子の歌のテープをかけて、涙をこぼしはじめた。
「玉ちゃん、私、泣きたくてこうするの。だからわかって。泣いてもいい?あの曲を聴くと私の過去がよみがえるの」
 恩恵先生は言葉を続けられずに、初めからただ泣くばかりであった。そんなとき私は当惑して、本当にどうしてよいかわからなかった。果物でもむいてあげ、お菓子を持ってきて彼女をなぐさめようとしたり、いろいろ手を尽くしてみたが、むだだった。
 そうするうちに、ふと<どうしてわたしがこんなわずらわしいなぐさめ役を負わされなければならないのか>と腹を立てたりもしたが、恩恵先生をなぐさめることもやはり革命の任務の一部であると考え、ない知恵を絞り出し、下手なジョークを交えながら何とか雰囲気を変えようともしてみた。
 彼女はいまもどこかの招待所に監禁され、酒に酔いながら、故郷と家族を懐かしみ、涙を流しているのかもしれないと考えると、胸が痛む。】


▼金賢姫を妹のように溺愛し心の襞までさらけだした田口さんと、そんな彼女の扱いに戸惑いながらその純情さに引かれていった金賢姫。二人の乙女の物語は、その後のそれぞれの強烈な運命を思うとさらにはげしい光を放ってくる。

                                             
▼なぜ、いま、忽然と金賢姫は面会に応じたのだろうか。12年ぶりに公の場に現れた金賢姫は背筋をまっすぐ伸ばし決然と一つの覚悟を持っているように見えた。今回の面会は、当然のことながら北朝鮮を刺激する。これで北朝鮮は躍起になって、ミサイル発射へと動き、オバマ新政権に揺さぶりをかけてくる・・・・いつか来た道、もうなんども上映されつくした陳腐な映画がまた始まるのか・・・・二つの極の利害がまたもや共通の接点として、元工作員・金賢姫の胸にピンポイントで突き刺さる・・・・
 
▼しかし、そうした懸念を置いても、きょうのイベントは、歳月のむごい仕打ちを受けながら再び風化という無作為とともに忘れ去られようとしている拉致被害者やその家族にとって、久しぶりに大きな光源となったにちがいない。
「私もあなた達と同じ地平を生きている・・・」・と金賢姫はやるせなく切実なシグナルを送りつづけた。

▼この突然の面会の意味を詮索する前に、今宵は、もう一度、「忘れられぬ女(ひと)」の物語を反芻しよう。

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