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            再録    “市場には心がない”
                2009年2月5日

 
 山茱萸(さんしゅゆ)
   Cornus officinalis
      ミズキ科ミズキ属


 荒涼とした野に、黄色い小花をたくさんつけた木を見つけると、春が来る。サンシュユは春を告げる花。葉よりも先に小枝の先端に黄色い花の塊をかためてつける。
春黄金花(はるこがねばな)の別名も持つ。もともとは中国や朝鮮半島に自生する落葉小高木で、江戸中期(享保年間)に渡来した。
花言葉は、持続・耐久・気丈な愛

以下は2007年2月5日の「草木花便り」の再録をベースにした。

▼2月5日は、経済学者・都留重人氏の命日である。都留氏は2006年のこの日、93才で亡くなった。訃報から2週間後、都留氏の最後の著書が本屋の店頭に並んだ。オレンジ色のシンプルな背表紙の本が目に飛び込んできて、購入した。そのオレンジ色は、冬野をいち早く彩るサンシュユの花のようだ。そして、確かにその本は、サンシュユが春の到来をいち早く予告するように、瑞々しい指針に溢れていた。

▼1973年に商学部に入学した。その時の学長が都留重人氏だった。都留氏は戦後、第一回の経済白書の執筆者である。白書の中で、都留氏は、戦後の窮乏生活から国民が抜け出すには、経済成長を確保する必要があり、それを実現するには経済のいくつかの分野で改革がなされなければならない、と説いた。まさに小泉政権時代に連呼された「改革なくして成長なし」という標語は、この時に登場していた。
▼しかし、戦後20年を経て、日本がGNP世界第二位という奇跡の復活を遂げた頃から、都留氏は、経済成長至上主義からの離脱を唱えはじめた。本棚から古い本を引っぱり出す。「日本経済の奇跡は終わった」。都留氏が1978年に書いた本である。その中からの引用・・・・・
 「・・・戦後日本の高度成長期は、多くのことをわれわれに教えた。一つには、GNPという外形総量的数値は必ずしも国民の福祉の大いさを示すものではない、ということをわれわれは知った。GNPの拡大は、しばしば『庭をつぶして台所をひろげる』という形をとるが、つぶされていく『庭』の価値は市場的に評価されないため、GNP拡大の陰で失われていくものが表面に出ない。また、私企業の利潤動機をみたすような物財生産はゆたかになり、おかげでGNPは高まるが、公共的に提供される福祉関連施設(都市公園、海浜公園、自然遊歩道、保育所、市民体育館、図書館等)は、GNP拡大効果が弱いため、その立ち後れがはなはだしい。他方、さまざまの無駄が、かえってGNP拡大のささえになりうるということも、われわれは認識するようになった。100年以上も前に、マルクスは、犯罪者は犯罪を生産することによって国民所得を高めるという趣旨の一文を書いたが、そうまで言わないとしても、『所得介入』現象と呼ばれるサービスや『無駄の制度化』と呼ばれる物財生産は多い。これらは、一般的に言えば、供給者が需要をつくりだす性格のもので、アメリカにおける弁護士のサービス、日本において見受けられる医療の無駄など、その例をなす。」
「・・・ここに少なくとも一つだけ確かなことがある。それは、さきの『台所をひろげるために庭をつぶす』と言ったたとえ話の中で、『庭』の価値を評価する方法を考えねばならぬという点である。」
「・・・・あらためて見直されてよいのは、ローマ帝国の法のなかにあった『公共信託理論』である。これは、河川や海岸や大気のような一般的財産は、一般大衆が自由に阻害されないで利用することができるように、政府が信託されて保有しているという考え方にほかならない。この意味で、高度成長過程を通じて急速に希少資源化してきた『環境』(清浄な水や大気、静穏、自然の景勝等)を『公共信託財産』とみなして、政府や地方公共団体の責任を明確にするという方式は、今後、現代社会の常識とするところまで定着させることが望ましい。
 『公共信託財産』の思想を開発することは、規範性を考慮に入れた思考上の舞台として、GNPのような市場次元のフローの集計値ではなく、国民資産という形で総括できるストック概念を手がかりとする発想につながるものである。」
 
▼以後、都留氏の立場は一貫している。高度成長に伴い吹き出した歪み、福祉や福利厚生、環境問題への関心を視座にして活動を続けてきた。氏は、亡くなる直前まで時事問題に関心を向けつづけ、5年ごとに「5年もの」と呼ぶ著作に所感をざっくばらんに書きとどめてきた。<1996年「なぜ今、日本安保か」(岩波ブックレット)、2001年「21世紀 日本への期待」(岩波書店)>            ▼「市場には心がない」は「5年もの」という原則から考えると、予定より1年早く発刊された。
「もう私も93才になっていることだし、こうした習慣をいつまでも続けられるのか確信を持ってないので、今回、おそらくは最後になるであろう5年ものとして、“孫の世代と内外世情を語る”という趣旨でまとめあげた・・・」
 この「まえがき」を書いた3ヶ月後、氏は他界した。
▼この本の中で、氏は小泉政権の「改革なくして成長なし」を「『お経』のようなもの」と批判し、
GDP(国内総生産)拡大主義は、人間の幸福や福祉に結びつかない市場や成長の問題を指摘し、成長を目的とする「改革」は、「手段と目的をはき違えている」と批判したうえで、肝心の潜在成長率の計算に過去の成長要因(成長会計)を「援用することは納得しかねる」と不満を述べる。GDPギャップの推計に至っては「衒学(げんがく)的趣味からくる余興だったのだろう」と一蹴(いっしゅう)した。
 確かに、市場経済優先の御旗のもとに、数字の上では日本経済は不況を脱したが、各地にはそこから取り残され放置された問題が噴出している。


▼都留氏の遺言とも言っていいだろう、「市場には心がない」の最後の二章。「第七章 成長なくて改革をこそ」 「第八章 自然との共生を深める抜本的な環境再編への期待」 は、この一年、社会が直面している歪みへの明快な解となっている。

抜粋:第七章 成長なくて改革をこそ 
 小泉内閣がその発足以来唱えてきたお経ー「改革なくして成長なし」ーとは逆の表現になるのだが、私は、本書の最終に近いこの章で「成長なくて改革をこそ」という定言をめぐっての私見を述べることとする。

 おそらくこの定言のいちばん明快な解説的記述は、イギリスの古典的経済学者ジョン・スチュアート・ミル(1806ー73年)による次の文章であったと思う。

 「富と人口の際限のない増加は、この地球上の生活を快適にしている数多くのものを根絶してしまう。もしもわれわれの地球が、いっそう多くの人口を、それも、より幸福とは限らない人口を養うだけのために、そうした快適さの源泉の大きな部分を失わなければならないのであれば、私は、後世の人たちのために、彼らが必要にせまられてそうせざるをえなくなるずっと前に、ゼロ成長の状態で満足するようになることを望んでやまない。

 「資本と人口のゼロ成長状態は、人間的進歩の停滞を意味するものでないことは言をまたない。そこには、従来と同様、あらゆる種類の知的文化と道徳的ならびに社会的進歩の可能性が開いていよう。また、人々の心が、ともかく先に進むことばかりにとらわれることがないようになれば、生活の内実をゆたかにする余地も充分にあり、それが更に改良される見込みは、いっそう強まる。」

・・・・・ミルが言うように、成長志向を抑制しなければならない時期がくる。しかし、その場合は、却って生活の内実をゆたかにする見込みが強まる、とうのであって、言い換えれば、成長をやめることで改革がいっそう期待されうる、ということにほかならない。

 さらに、ドイツ生まれでイギリスに移住した経済思想家シュマッハー(1929年ー77年)が提案する改革案は、次のようなものである。

 「現在、先進国の場合、生活に必要な物的生産に使われているのは、社会的総労働時間の3。5%でしかない」が、そこまで低くなっている比率を、更に生産性を高めることによって、たとえば3.4%にすることでどんな便益が得られるのか。
 むしろ、その3.5%をいっそのこと高めて、もっとたくさんの人が物的生産に携わることにより、生産性が下がっても、非常に苦渋であったところの労働が、楽しみのある仕事になりうるのではないか。
 場合によっては、「3.5%を6倍、すなわち約20%に高めることもできよう。そうすれば、子どもたちも生産に役立つことができ、老齢者も現役の働き手となりうるのではないか」と言うのだ。

 「労働の人間化」という改革の実を挙げるために成長志向を抑制するというこの提案は、古典的なミルの提案の主旨と一致したものである。そして実は、ビクトリア朝というミルの時代にも、「労働の人間化」の改革案を幅広い観点から主張した思想家として、ジョン・ラスキンにも言及しておきたい。

 ラスキンの場合、彼は、「労働」すなわち「働くこと」にかんし独特の分析を行っていたのであって、それは、「手工労働を頭脳労働との悲しむべき分裂」を指摘した上で、「労働」と「仕事」との区別を明確にすることであった。ここで「仕事」と言ったのを、ラスキンは“opera”という言葉で表現しており、それは“work which corrupts or destroy”であるとして、それは「努力するのに苦痛を感ずるところのネガティブな活動量」であると規定した。まさに、近代経済学者が労働を「非効用」と定義したのに合致している。
 ラスキンにおいても、「労働」は明らかに「費用」なのであるが、それとは逆に、「仕事」は「人体の最も美しい行動、人間的知性の最高の成果、労苦とは逆のrecreativeな活動」にほかならぬとしたのである。これがすなわち「労働の人間化」という考えにほかならない。

 ラスキンのこの「労働の人間化」という考え方に呼応したのが、彼の朋友ウイリアム・モリスの唱えた「生活の芸術化」という発想であって、モリスの哲学は、「真の芸術は労働における喜びを人が表現するところのもの」であり、生活の過程で「すべての人が潜在的にもつ生きていることの喜びを自発的に表現することで芸術の真正の新しい誕生がある」としたのであった。

抜粋:第八章 自然との共生を深める抜本的な環境再編への期待

 日本人がその長い歴史の中で培ってきた文化的特異性ーーー
それも、一部エリート文化人の専有物としてではなく、庶民一般のものとして身についていた
ーーーは、私たちの生活の中で、人間と自然と人間の造形作品とがこんぜんとした有機的連関を保っていたという点にあり、特に、山や河や海岸線での自然との共生関係は、かけがえのないものだったと思う。だから、たとえば瀬戸内海海岸線の95%が工業立地のため人工化されたとか、かつては海洋・水棲生物の宝庫だった東京湾が工業文明廃棄物の巨大な水中処理場になってしまったとかの現実が、せめて50年前の状態にまで復元できないものかと、日本人のほとんど誰もが願っていることなのだ。
 社会科学的現象の中には、事柄が一つの方向に進行していても、その途中では気付かれないまま、あと知恵でようやく確認されるという ケースが少なくない。環境問題との関連でもその事例は多く、・・・・(略)・・・
・・・・自衛隊が「防衛整備」ということを言うのであれば、国民の立場においては「環境整備」を対抗的に提唱してしかるべきだと思われ、・・・・・(略)・・・・・・・
 そこで私が提案する抜本的対策は二つあり、・・・・一つは、イタリアにその例を見ることができるが、エミリア・ロマーニャ州がポー川流域の十万ヘクタールの干拓地の一部を海や湿地にもどしながら、住民の生産・生活と自然とを共生させる「パルコ(公園)」化をすすめている計画が非常に参考になるのであって、日本でも、戦後の時期、埋め立てによって数多くの臨海工業用地が造成されたが、そのうちのいくつかを、以前の自然体に復元するという対策案にほかならない。
・・・・私が提案する第二の抜本的対策は、ほかでもない、日本領土内の米軍基地を撤廃することである。・・・・・・(略)・・・・・・日米間では、現在の安保条約に代えて「平和友好条約」を締結するということである。・・・・・(略)・・・・・・
 在日米軍基地の撤去と東アジア諸国との友好関係確立をも、日本側の基本的対策としながら、日米安保条約に代えて日米平和条約の締結を提案するという抜本的な改革構想を、私は提案する・・・・・・

 以上述べてきた抜本的対策の第二点が幸いにして実現できれば、日本国憲法の前文と第九条の崇高な定言は本当に活発化されるであろうし、そのときは、少なくとも3世代にわたり
日本国内で一番きびしい犠牲と負担に堪えてきた沖縄の人たちの、こみあげる歓喜の光景を、私は想像できる。
 それこそが、「明るい未来を求める」私たちのための象徴的光景であるだろう。


▼ 近代経済の巨星の、最後の眼差しが、沖縄の人々に向けられたことに、感慨を禁じ得ない。日本国内で最も厳しい犠牲を強いられた沖縄の人々が歓喜する未来の光景を描き、巨星は人生の幕を下ろした。日本人が本当の意味での、精神の自立を達成する道筋を、氏は明快に一筆描きをしてみせた。我々は、その筆跡を辿りながら、一歩づつ、足を進めていく・・・。


▼今、世界は未曾有の経済危機の中にあり、日本経済は急速に減退している。その中にあって、都留氏の言葉はますます説得力と現実味を帯びてきている。
「労働」は明らかに「費用」なのであるが、それとは逆に、「仕事」は「人体の最も美しい行動、人間的知性の最高の成果、労苦とは逆のrecreativeな活動」にほかならぬとしたのである。
 この鮮烈な最期の言葉を骨格にして、これからの世界経済の成り行きを注視していく。
                          2009年2月5日
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