氷がとけたら何になる?
2010年2月20日
猫柳
(ねこやなぎ) Salix gracilistyla Miq.
ヤナギ科
早春のまだ寒さ厳しい時節、葉に先だってのびる花穂を猫の尾に見たてて名付けられた。日本全国どこでも普通に見られる。朝鮮半島や中国東北部にも分布する。
花言葉は、率直・自由・気まま
▼今朝の朝日新聞、天声人語は印象に残った。話は「氷がとけたら何になる?」という小学生へのテストの問題ら始まる。正解は、「水になる」だが、ある子が「つちがでてはるになります。」と答えた。なんと率直で自由な発想だろうか。残念ながら、試験ではこの答えは×とされた。でも、こういう子供時代の湧き水のような発想は大切にしたい。「氷がとけたら何になる?」「はーい、つちがでてはるになります!」 いいねえ、春を前にした冷気の朝にふさわしい解答だ
。
▼「気まぐれ美術館」という連載エッセイを書いた洲之内徹の気ままな文章が好きだ。心おもむくままに流れる洲之内の文章そのままの破天荒なその人生の深層に迫った「彼もまた神の愛でし子か」(著:大原富江)を昨夜読んだ。その中にこんな話があった。洲之内が老年になってから生まれた男の子のエピソードである。ゲンロクマメと呼ばれたその子は小学三年生、毎日、日記を書かされている。ある日の日記を彼は三行しか書いていなかった。母親はもう三行書きなさいと言った。それに対して
「・・・・『うちのママはまた3ぎょうかけといった。やんなってくる。しょうがないよまったく、と、かいているうちに3ぎょうになった。』
その日記を彼女が私に見せて、こんなこと書くのはやっぱり血筋かしらと言った。私も不思議だと思う。私の<気まぐれ美術館>など彼が読むはずもないのに、これはまさしく<気まぐれー>調だ・・・」
▼夕方から郷里の高校の同窓会に久しぶりに顔をだした。その宴の終盤、50歳も半ばをすぎたおじさん、おばさんたちは、バンクーバーオリンピックのスケートボードの国母選手の服装のことで盛り上がった。40年前はロングヘアでラッパズボン・超ミニスカートで何か目に見えない権威に精一杯粋がって見せた生徒たちが、今、もっともらしい顔して、「国を代表する選手があんな規律を乱すようなことしては、いかがなものか?」「きちんと指導しているのか?」などと論じている。盛り上がったその渦中で、なぜか、洲之内徹のことと今朝の天声人語のことを想っていた。国母選手は、おそらく無意識であったろうが、国家のためにという大きなプレッシャーを前に、「いつもどおり自分らしくやろう。」と決意していたのだろう・・・。
▼公園では、猫柳の綿毛が目立ってきた。このところ、冷え込んでいるが、春は確実に近づいている。
猫柳の花言葉は気まま、自由、率直。
凡百は放っておけば、着実に置き忘れるもの。
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