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                母子草
          2010年3月1日

  

母子草(ははこぐさ) Gnaphalium affine D. Don

キク科
別名、ほうこぐさ。おぎょう(御形)

越年草。日本各地の道端に咲く野の花。朝鮮半島、中国、東南アジア、インドまで分布する。花は頭状花で茎の先端に多数集まって咲く黄色い花。3月から5月に咲く。背丈は20〜40センチ、全体がやわらかい綿毛で覆われ白くみえる。葉は細いへらのようで、先端は丸くやや肉厚。
 花言葉は、いつも思う・やさしい人
(参考:花ごよみ花だより)

母が愛読していた「ラジオ深夜便 誕生日の花と短歌」を開くと、3月1日の花に「母子草」があげられていた。ひょろひょろと伸びる茎のてっぺんに淡い黄色い小さな花が群れて咲く可憐な母子草は、幼いころ庭の前の田圃の畔道に並んで咲いていた馴染みの草花だ。その一画には春になると母子草に続いてキンポウゲの黄金色が続き、さらに田圃は一面、うす紅色のレンゲの園に変わった。
▼3月1日の花「母子草」の下には歌が添えられている。歌人の鳥海昭子さんの短歌だ。
 母子草とその名教えし一瞬の 母のない子の表情を忘れず

  こんな説明が記されていた。
 養護施設に預けられた子供たちと、庭掃除をしていたときのことでした。花の名前を聞かれ、「ハハコグサ」と教えました。そのとき、あの子の見せた硬い表情が忘れられません。

20年ほど前、鳥海昭子さんの勤める児童養護施設を訪ねたことがある。両親が蒸発し、取り残されたある少女を追っての取材だった。鳥海さんは気さくに施設を案内してくれ、少女とも話せる場を設定してくれた。取材の後、鳥海さんの話をいろいろ聞いた。そこで彼女が歌人だということをはじめて知った。帰りに彼女の歌集「花いちもんめ」をもらった。「母子草」を見ると、無性に歌集が読みたくなって、本箱をひっくり返して探し出した。
  
 ○ 行方不明の父母を待つゆえ噛む爪が変形しつつ小さくなる
 ○ 頭髪をむしって口に入れる子を預かり候 ななめの雨も降り候
 ○ かさかさの小さい手をかさかさの人生の端握ってしまって
 ○ ずるがしこく生きねばならぬ人形が大きいおめめあいている
 ○ 何処をどう抜けましょか ジャングルジムの子がすすり泣く
 ○ ありありと大人を拒絶する顔が合歓の葉のように眠ってしまう
 ○ せっぱつまった話に仕組まれ おさな児は置いていかれる
 ○ と じて ひらいて とじて ひらいて 号令はいつも逆さであった
 ○ 母に抱かれたおぼえない手に人形はつぶれるばかりに抱かれている
 ○ 言語未発達ちえおくれ捨て子盗癖この子らの うしろの正面は誰
 ○ 母親役は母のない子がひきうけて陽溜りのものかげのいつもの遊び
 ○ 計り知れない重量があり捨てられた子の乗るシーソー上げられない
 ○ 盗癖の子の手をとれば小さくてあったかいのでございます
 ○ 母は囚人で父はやくざで計算の早い子で生きている
        
                       鳥海 昭子歌集 「花いちもんめ」より

▼鳥海さんは、山形県庄内地方に生まれた。19歳で家出し上京、消防自動車のホースの修理、小学校の事務、花火工場などで学費をかせいで夜間高校、夜間大学を卒業した。雑誌へ短歌を投稿したのがきっかけで二十三歳年上の編集者と結婚、夫には5人の子供がいた。夫が病気がちだったため、子供を保育所に預け、近所の養護施設の洗濯婦となった。・・・・子供たちを見る温かい眼差しと歌人としての観察眼が融合した印象的な歌には圧倒された。それから何度が会ったが、彼女のきさくな人柄はいつも心を和やかにさせてくれた。90人の継母として、子供の闇を解きほぐした人であった。
 鳥海さんは、その後、夫を亡くし、自らも闘病し平成十七年十月九日に逝去された。

▼母子草、鳥海さんにもっとも似合う野の花。
そういえば、彼女の醸し出す雰囲気は、故郷の亡き母に似ている。いま、気がついた。


    ふるさとは祭りのさなか ぽっこり わたしがいなくなる
    迷い道 まわりまわって 母のうしろがすたすたと行く
                                        (鳥海昭子)

                     2010年3月1日                  
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