東大作 テレビ・ジャーナリストとしての航跡
★1993年4月 日本放送協会に入局、5月政治番組班に配属される。
※6月、宮澤政権不信任案可決、7月の選挙で政権交代。
■1994年5月 憲法記念日特集「今、国境を越えて私たちにできること」
2時間全中番組を担当。NGOが国連における人口会議など、国際社会の政策決定に影響を及ぼし始めている現状をリポートし、日本におけるNGOの発展の方法を探った。
★1995年8月、福岡放送局報道番組へ転勤
■1996年2月 クローズアップ現代「訴えられた町長〜ごみ処理に苦悩する町 〜」
不法なごみ処理で、住民から刑事告発された町長の、ごみ問題への苦闘を追っ たドキュメンタリー。95年10月の福岡発5分リポートを機に、11月のズームア ップ九州などを放送しながら、およそ半年間継続取材を続け、2月に、クローズ アップ現代として放送する。
■1996年6月 クローズアップ現代「エイズ、なぜ診療しないのですか」
血友病患者のHIV裁判が終了した96年3月。今後はどう感染者の支援を行う かに焦点は移っていた。しかし日本の殆どの医療機関がHIV感染者に対し診療 拒否を続けていた。番組は、福岡県保健対策課長が、HIVの拠点病院を作ろう とするのに対し、徹底して反対した大病院「飯塚病院」の姿を徹底取材。更に、 福岡県下の1人の開業医が、医師会のネットワークを使って、HIV感染者を診 療するネットワークを作るために悪戦苦闘する取り組みを密着取材した。番組は 、その年の日本医師会全国大会でも、「HIV診療のモデル的取り組み」として 取り上げられ、全国で同じような組織を作ることが呼びかけられた。
■1997年8月 NHKスペシャル「裁かれる戦争犯罪〜旧ユーゴスラビア戦争 犯罪法廷」
同時期に提案を出していた川口PDと共同制作。実際にはサブPDとして、川 口氏の後を継ぐ形で、ハーグの国連旧ユーゴ戦犯法廷を一ヶ月間取材。
■1998年8月 NHKスペシャル「我々はなぜ戦争をしたのか 〜ベトナム戦 争・敵との対話〜」
マクナマラ元米国防長官の呼びかけで始まった、アメリカとベトナムの戦争指 導者が、一同に会し、どうすれば戦争を回避できたのか、もっと早期に終結させ ることができなかったのか激論を交わした歴史的対話の全記録を独占的に入手。 更に双方の戦争当事者を独自に取材し、歴史的対話を再構築した。
※1998年度、放送文化基金賞受賞 ※1998年度、ギャラクシー賞選奨受賞
■1999年11月NHKスペシャル「縛られない老後〜ある介護病棟の挑戦〜」
1998年10月に、福岡の10の病院が、痴呆性老人を拘束する、いわゆる「抑制」 を廃止すると宣言。その中でも、「一切の拘束を廃止する」と宣言した正信会水 戸病院の取り組みを、およそ1年間に渡って密着取材。当初、NHKスペシャル の提案は、Nスペ事務局に却下され、6月に九州スペシャルとして放送。その後 、NHKスペシャルでも採択され、11月に放送される。番組は全国に反響を及ぼ し、各県の高齢者担当課から、講演依頼を受けるようになる。水戸病院へは、全国の医療機関から、見学者が殺到した。
★99年8月、東京報道局番組部政治番組班に所属
※2年間で、およそ30本近い、日曜討論を制作。また民主党の党首選挙のクローズアップ現代、参議院選挙の鳩山代表の密着取材などを担当する。
■2000年10月 NHKスペシャル「犯罪被害者はなぜ救われないのか」
2000年1月に発足した、「全国犯罪被害者の会」。代表幹事の岡村勲弁護士は、 38年間弁護士を続け、日弁連の副会長も勤めた弁護士。自らの妻を殺され、犯罪 被害者に対する理不尽な制度に気づき、2年間の地獄の苦しみの後に立ち上がっ た。番組は、これまで誰にも打ち明けられなかった悲惨な現実を訴え始めた全国 の犯罪被害者の現実をつぶさに追い、「犯罪被害者への支援」の必要性を強く求 めた。
★2001年8月、政治番組班から番組部遊軍に移籍
■2001年12月 NHKスペシャル「企業再生〜不良債権最終処理の現場から 〜」
不良債権処理が国家的課題となるなかで、不良債権を通じて企業再生に取り組 み始めた、RCC整理回収機構の取り組みに密着取材。鬼追社長になって2年、 RCCに初めてカメラを入れることに成功した。番組は、12月6日に「不良債権 処理促進法案」が可決された直後ということもあり、大きな反響を呼び、その後「企業再生」に向けた国会論議が盛んになった。
■2002年3月 NHKスペシャル「憎しみの連鎖はどこまで続くか〜パレスチ ナとイスラエル〜」
2001年7月、東は、元アメリカ国務省の中東和平特使だったデニス・ロス氏に 単独インタビュー。01年1月末まで続けられた中東和平協議のあらましを知る。 そこからヒントを得て、2000年8月のキャンプデービッド和平交渉で、クリント ン大統領と共に最後まで交渉を続けていた、サエブ・アリカットパレスチナ代表 (アラファトの片腕)と、シュロモ・ベンアミ、イスラエル元外相に密着取材。 「幻の和平交渉」がどこまで到達していたのかを克明に伝えると同時に、対話に よる和平を求め格闘する二人の政治家と、憎しみの連鎖の中で翻弄されるイスラ エル・パレスチナ双方の市民の姿を追った。番組は、シャロン首相がアラファト 議長の公邸に兵士を突入させた3月30日の翌日に放送され、アラファト議長軟禁 が、トップニュースを飾る中で放送された。
■2002年10月 クローズアップ現代「犯罪被害者をどう守るのか」
■同10月、キーパーソンズ「犯罪被害者の会、岡村勲」
2000年10月に放送された、NHKスペシャル「犯罪被害者はなぜ救われない のか」の続編。犯罪被害者の会が、結成されて3年。岡村勲代表幹事がいよいよ 、同志の弁護士と共に、ドイツ・フランスに、犯罪被害者を保護する裁判制度と 支援制度を克明に調べるための海外調査に踏み切った。東は、岡村弁護士をはじ めとする10人の調査団の事前の勉強会から半年間に渡って取材、ドイツへの調査 にも同行してロケを行い、番組を放送した。同時に、日本国内で始まった犯罪被 害者を支援する取り組みの中で、最も最先端をいく、兵庫の支援センターの活動 を追い、被害者支援の現状と、依然として厚い制度の壁を報告した。
※二つの番組は、学会や弁護士会、そして政界に大きな反響を呼び起こした。犯罪被害者が、刑事裁判の場に自ら参加し、被告人尋問、証拠申請、そして求刑まで行っている事実は、刑法学会にも「衝撃をもって」受け取られた。この番組を契機に、翌年2003年に、日本弁護士会の人権大会と、日本被害者学会が、相次いで、「犯罪被害者の刑事裁判の参加」をテーマにシンポジウムを開くことが決定された。公明党の法務部会でもキーパーソンが話題になり、全員がその番組を見ると共に施策研究が始まった。自民党の裁判制度調査会でも具体的な検討作業が始まる。この一連の流れの中で、2003年、犯罪被害者の会の岡村勲弁護士が小泉総理に面会を果し、総理の指示により、法務省の法務総合研究所所管で、犯罪被害者支援施策検討会が発足した。
■2002年12月 NHKスペシャル「犯罪被害者をどう守るのか」
クローズアップ現代から更に取材を重ね、一連の犯罪被害者支援の総まとめ的な番組として放送された。
■2003年2月クローズアップ現代「北朝鮮は今〜最新映像が語る食糧事情〜」
WFP世界食糧計画の北京報道官が2年間にわたって、北朝鮮内で撮影を続け てきたビデオを独占入手。2月に発表された、北朝鮮全土、6000人の子供の栄養 調査の発表とあわせて、そのVTRを構成して放送した。
■2003年8月NHKスペシャル「核危機回避への苦闘〜韓国・米朝のはざまで 〜」
北朝鮮の核問題が再燃し、朝鮮半島危機が叫ばれる中、なんとか軍事的な衝突 は回避しようと苦闘する、韓国の二人の閣僚(外交通商相と統一相)を密着取材 したドキュメンタリー番組。
※KBSが上のNHKスペシャルを高く評価し、9月2日にKBS第一放送で夜10時から、NHKスペシャルをそのまま放送した。
■2004年4月 NHKスペシャル「イラク復興 国連の苦闘」
イラク戦争から一年。番組は、イラク復興における国連の苦悩と苦闘を徹底取 材した。アナン事務総長やブラヒミ特使を始め、ブレンダガスト政治局長、ペレ リ選挙支援部長、更には、米独仏など各国の国連大使を密着取材し、豊富な情報 取材も加えながら、一年にわたる国連の歴史的な苦闘を描いた。
★2004年7月、退社
■NHKスペシャル「イラク復興 国連の苦闘」が2004年末の世界国連記者総会において、テレビ・ラジオ部門の銀賞受賞。賞は、世界中の報道機関がその年におこなった国連に関する報道の中から、最も優れたものに贈られる。
「出版」
■2000年、「我々はなぜ戦争をしたのか〜米国・ベトナム敵との対話〜」岩波書店■2001年、「縛らぬ介護」葦書房
■ 2003年、世界(2004年1月号)「ソウルで見た韓国外交の底力」雑誌世界投稿
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