紅梅 バラ科サクラ属
。原産地は中国中部以南。万葉の時代には渡来していた。当時は薬用として果実を重用した。花を観賞するようになったのは中国では6世紀、日本では8世紀頃。ウメの語源は、中国で青梅を薫製にしたものを烏梅(ウメイ)と呼んで薬用としていたことからきたという説が有力。花言葉は高潔、独立、忍耐、上品
▼梅の花が咲き誇り始めた。春の到来である。素直に春に胸ときめかしたいところだが、今年はこのままいけばサクラ満開の頃、世界はイラク攻撃の最大の局面を迎えそうだ。思いはどうしてもそっちに向かい頭上に咲く紅梅も虚ろだ。
▼ 9・11後、訪米した小泉首相がブッシュ大統領に向かって、「あなたは“真昼の決闘”の保安官だ」と持ち上げたが、もし「あなたは“理由なき反抗”のジャームス・ディーンだ」という賛辞を贈ったとしたら、大統領はどう反応しただろうか。
▼ 9・11以後、ブッシュは明らかに変わった。9・11の数ヶ月前、インタビューに答えたブッシュは、自分が各国の首脳からどう見られているかをこう語っている。
「ずぶの新人の私は、得体のしれない、ろくでもないテキサス人ぐらいにしか見られていなかった」
その"ろくでもないテキサス人”が911以後、アメリカが進むべき道を明確に言葉にし始めた。それは、テロとの「新たな戦争」であり、「悪の枢軸」との「正義の戦い」である。
▼9月14日、ワシントンのナショナル大聖堂でのブッシュの演説は実に印象的だった。 「歴史に対するわれわれの責務は、明白であります。こうしたテロ攻撃に反撃して、この世から悪を取り除くのが、われわれの責務なのです」
キリスト教原理主義者の彼にとってこの大聖堂での演説ほど高揚したものはないのではないか。間違いなく9・11は、ブッシュにイラク攻撃へ向かう明確な道筋を与えた。大統領の言葉はより明確に揺るぎないものになっていき、それに彼の支持者である3000万人のキリスト教原理主義の人々が酔った。
▼そんな高揚の最中、小泉首相がやってきて「保安官」という称号を与えた。しかし、実は大統領はそれには物足りなかったのではないか。"自分はもはや「保安官」などという存在にはおさまりきれない、この世から悪を追い払い人々を解放する「神の使者」なのだ・・・”
彼やその取り巻きから生み出される言葉は、明らかに神がかっていた。
▼映画「理由なき反抗」は、思春期の少年達のやり場のない怒り、孤独、屈折した愛情を描き出した秀作である。この映画のキーワードは、「チキン=ひよっこ、弱虫」である。少年たちはチキンと呼ばれることに過剰に反応し、名誉をかけてチキンから抜け出そうとする。
▼映画の中でチキン・レースという勝負のシーンがある。絶壁の崖っぷちに向かって猛スピードで自動車を走らせる。崖っぷちのぎりぎりまで我慢し転落直前でドアを開けて外に飛び出す。どちらがぎりぎりまで我慢できたかで勝負するゲームだ。このチキン・レースという言葉が、その後、ぎりぎりの外交かけひきに例えとして使われるようになった。もっか進行中の、核開発を巡る北朝鮮との駆け引き、そしてイラク攻撃をかけての緊迫のせめぎあい、いずれも「チキン・レース」である。
▼「理由なき反抗」でジェームス・ディーン演じるジムの父親は、妻に頭が上がらずなんとも煮えきれない大人である。ジミーはその父親の態度にたまらないいらだちを感じる。「父親こそチキンだ。逃げてばかりいる」・・・危険なチキンレースに出かける前、ジムが父親に相談するシーンがある。
ジム「ある事をしなければならない時・・・・ある所に行きある事をする・・・・危険だとわかっていても・・・・しないと名誉にかかわる・・・・そんな時、どうしたらいい?」
父親は戸惑ったように答える。「私ならゆっくり、考える・・・・」
いつものように煮え切らない答えに息子はまたいらだつ。父の答えを聞いたジムは業を煮やしたように、チキン・レースが行なわれる現場へ駆け出していく。
▼ ブッシュ大統領の父親は1991年、大統領として湾岸戦争を指揮した。クエートに侵攻したイラク軍を壊滅させたがその際、サダム・フセイン体制を打倒するまではしなかった。深入りすれば
ゲリラ戦となりベトナム戦争の二の舞になることを恐れたからだ。この時の後悔が湾岸戦争の作戦に携わったホワイトハウスやペンタゴンの人々に「やり残した仕事」としてずーっと残っていた。
▼そこに息子が登場する。息子はきわめてシンプルに、父の残した仕事を自分の手で成し遂げることに情熱を燃やす。父親以上に熱心なキリスト教原理主義者の息子にはイスラム教圏を敵にまわすことへのモチベーションは明確にあった。息子の周りに、かつて父親のもとで働いたスタッフが再び結集した。そして9・11という格好の口実を得て、いっせいにイラク攻撃に動き出した。
「今度こそフセインを倒す」が共通の想いだ。
▼ イラク攻撃を実行することは、息子にとって父親をこえる大きなチャンスでもある。なんとしてでもやりとげたい、チキンと呼ばれたくはない。そんな息子に、強い父親ブッシュは「すぐにレースに参加しろ。まずアクセルを踏むことだ。私のやり残したことをやれ。」と檄を飛ばしているのだろうか。
▼映画「理由なき反抗」の中、ジムの父親の解答を米国の観客はどう受け取ったのだろうか。
「私ならゆっくり、考える・・・」 その煮え切らない答えは農耕民族である我々にはよくわかる。
なかなかいい答えではないのか。
▼小泉首相に「あなたは“理由なき反抗”のジムだ」と言われたらブッシュ大統領はどんな顔をするのだろうか。「その通り、私はどんな危険なレースにも決して逃げない。」とばかり頷くのだろうか、それとも、チキンレースがもたらした想像をこえる悲劇に思いを馳せ、にがい顔をするのだろうか・・・・。 |