道草 「ポタミソと呼ばれた子」 4月20日
▼花壇を淡いブルーに染めたネモフイラの群生にカメラを近づけていた時、画面にハート型の実をつけた野草が入ってきた。「なずな」、ペンペン草ともいうが、この時の登場はまさに「撫菜」という名がふさわしく愛らしい。その繊細な茎が遠景でかすむネモフイラのブルーにうまく生えていた。思わずシャッターを切った。そのか細い茎の中を春の水が天井の白い花に向かって駆け上る様がみえるような瑞々しい姿だった。
▼撫菜をみて、すぐに思い出すのは鈴子という名の女の子だ。郷里ですごした中学校時代の同級生だ。乾いたナズナを耳元に寄せて振って見せ、小さな果実が触れ合ってカラカラと音をたてるのをこぼれる様な笑顔で楽しんだ。真っ黒い髪の毛と、強い光りを放つ大きな瞳、白い歯・・・愛くるしい容姿だった。ただ、学習能力が低く、特殊学級と一般クラスを行ったりきたりしていた。少し吃音のくせもあった。当然、田舎の学校には必ずいる悪ガキたちの標的になりよくからかわれた。しかし、鈴子はちっとも悪びれることなく、愛くるしい笑顔で言葉の暴力をかわしていた。気が小さかった自分は、そんな鈴子の身のこなしを密かに尊敬していた。
▼社会の授業のことだった。世界の四大文明を前の席から順番に答えるように、と教師が指示した。前から「エジプト」「インダス」「中国」・・・・・そして鈴子に順番が回ってきた。隣の席にいた自分は小さな声で「メ・ソ・ポ・タ・ミ・ア]と囁いた。鈴子はうなずいて、大きな声で答えた。「ポ・タ・ミ・ソ」・・・・・皆が一斉に笑った。最初は唖然として戸惑っていた鈴子もやがて一緒になって笑った。そしてその横で一人だけ気まずく落ち込んでいく自分がいた。
▼その授業から、鈴子の綽名は「ポタミソ」となった。皆が「ポタミソ、ポタミソ」とはやし立てて、鈴子の周りを通り過ぎていった。その都度、「やめてよ」と笑顔で反応して鈴子は皆を追いかける動作をみせた。それを見ているうちに、本当は自分が「ポタミソ」と間違って教えたのではないか、とも思えるようになり「ポタミソ」と聞くと自分が責められているようにも感じるようになっていた。
▼ある朝早く、週番の仕事のため、教室の窓を開けていると、鈴子が近づいてきた。そして、自分に向かってゆっくり「ポ・タ・ミ・ソ」と言って笑いながら駆けていった。鈴子の真意はわからない。しかし、その時はそれが同士の合言葉のようにも聞こえた。
▼あれから長い時間が過ぎた。撫菜は東京のコンクリートの隙間にも逞しく生え続けている。
耳元で振るとカラカラと音を立て乾いたハート型の果実が風に舞って飛んでいく。かつてその楽しさを教えてくれた鈴子は、どのようにこの長い歳月を生き抜いているのだろうか。 |