道草 「朝日のようにさわやかに」
2003年5月31日
▼先日、名古屋に転勤していった学生時代からの友人Hからメールがきた。Hは数少ない生涯の友の一人だ。
「お元気ですか。私は名古屋のチョンガーライフを満喫しています。この週末は長女がひとりで遊びに来て、楽しいひとときを過ごしました。娘と近所のフランス料理屋に
行って食事していたら、恋人時代の女房と食事しているような錯
覚に陥りました。
気が付いたら50歳。もう若くないね。
時代は我々の子供たちの世代だね。」
▼仙台出身のHはいつも輝かしい絵に描いたような青春を謳歌していた。大学入学当初、東京の派手やかなムードに圧倒されて、引きこもった生活から抜け出せなかった。そんな地味な自分の部屋を、アスコット・タイを着こなしたHがなぜか頻繁に訪ねてくるようになった。社交的なHに引きずられて外に出て、なんとか自分も一人前の学生j時代の思い出を残せた、というのが本音だ。彼の存在がなければ相変わらず篭り続けていただろう。今、植物写真に現を抜かす様子を見れば、容易に察しがつくと思う。
▼Hに関する恋愛の物語はそのどれも
が意外性に富み、高揚する情熱に溢れ、さらに一転して向かえる大団円は、どんな小説にも負けなかった。夜中、わがアパートの扉を叩き訪ねて来るHはその一部始終を克明に描写した。それに胸ときめかし、Hが消えた後はHの薦めた「草の花」や「忘却の河」「されど我らが日々」「北の岬」・・・を読んだ。それらの小説を改めてめくれば、今も、Hが好んだ、マルウオルドロンやビル・エバンズやソニー・クラークがバック音楽として聞こえてくる仕組みになっている。稚拙で不甲斐ないが、この仮想体験がわが青春の大きな思い出である。
▼Hに引っ張られて夜の国分寺に
出たことがある。そこで何人かの女子大生と酒を飲み交わした。やがて、どういう成り行きだったか、Hと、Hの彼女、そしてなぜか自分の3人で、Hの部屋にいた。なぜ、こんなところに自分がいるのか、無粋の極みである。こういう時は寝るにかぎる。目を閉じた、が眠れるはずがなかった。
▼聞こえてくるHの甘く自然な言葉には感服した。「だめよ。S君、起きてしまうよ。」「大丈夫、あいつはいったん眠ったら起きない奴だ」 それにあわせて鼾を入れてみる自分、おいおい、なにをやっているんだ・・・
▼やがて、夜が明け始めた。新聞配達、牛乳瓶の触れ合う小気味よい音・・・窓から入る風にゆらぐ色あせたカーテンが顔に当たる。その感触が心地よかった。すると、ポツンと彼女の声が風に乗った。「いつか、私たちにも別れが来るのかしら」
その言葉にHが返した。「その時は、朝日のようにさわやかに・・・ね。」
思わず噴出しそうになった。しかし、二人は真剣で、間を舞う風は、その言葉に呼応しているようにすがすがしかった。
sonny clark 「softy as in a morning sunrize」
朝の風と沈黙の中、3人の頭の中でソニー・クラークの演奏が始まる・・・・
▼先週は転勤の週、何度、送別会に顔を出しただろうか。この時節になると、なぜか、あの朝、聞いた 「朝日のようにさわやかに」というフレーズを思い出す。
転勤で名古屋に行ったHからのメールをもう一つ。
・・・最近、三女がジャズピアノやってて、この間 「ワルツフォデビー」を発表会で 弾いていた。国分寺の夜を思い出したよ。村上春樹の店「ピーターキャット」でいつも
リクエストした。・・・
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