ヒマラヤのカセットテープ 2003年 6月1日
ハンカチノキ /ダヴィディア科ダヴィディア落葉高木。中国南西部の高山に自生する、1科1属1種の珍しい樹木。白く垂れ下がった苞(真ん中に丸く見えるのが花)が、ハンカチをつるしたようで、新緑の風を受け、ヒラヒラと揺れる。風に揺れる2枚の苞が、白い鳩のようなのでハトノキとも呼ばれる。
▼昨日の「朝日のようにさわやかに」に意外な反応があった。「大丈夫ですか。あんなプライバシーを書いて・・・」など心配の声が届く。予想以上に
身近な人が読んでくれているようだ。ただ、誤解のないように言っておくが、当時、友人のHも含めて、することの一つ一つが真剣であった。Hの数多くの恋愛物語、それぞれが双方向の真剣勝負だった。だから横で見ているこちらも触発された。
▼大学三年の時、Hと仲間を募って演劇をやった。演出をしたHが選んだ戯曲が、別役実の「象」だった。
病院の一室が舞台だった。被爆した
青年と伯父、青年役を演じた。ベッドの中から、伯父は「もう一度、あの町へ行って、道端に立って、背中のケロイドを見せるんだ」 と言う。「そんなことをしても無駄ですよ。」といいながら青年は忍び寄る破滅の恐怖に脅えている。二人の言い知れぬ疎外感は、被爆者の心象風景であると同時に1970年代の我々の心の風景でもあった。
▼後年、勤務の関係で広島に住むことになった時、この戯曲の重みを再び感じた。そして、あの劇で青年と伯父が思い描いた町は、爆心地にあり、一瞬にして消えた「猿楽町」に違いないと確信を持った。さらにその後、あの戯曲の描いた疎外感が今もアフガンやイラクや朝鮮半島にも、繋がる帯となって漂っていることを確認することになる。戯曲「象」は自分の原点である。
▼Hと共にネパールからインドを歩いたこともある。ネパールのカトマンズを起点にヒマラヤのふもとの町、ポカラに入り、そこから国境を越えてインドの仏教聖地を回る旅だった。途中、それぞれ病になりながら、過酷な経験に身をさらしたのだが、その中でポッカリ、童話のような時間に巡りあったのが、ポカラで過ごした一週間だった。ヒマラヤの山々の見事は風景を見ながらカヌーを漕ぎ、気ままに本を読んで過ごした。宿にしたのがマウント・ビュー・ホテルだった。気立てのいい少女が相手をしてくれた。台所の中から聞こえてくる少女の澄んだ歌声、その弾けるような明るさが薪の炎しかない暗い土間を照らし出してくれた。別れ際、二人は少女にカセットテープを贈った。当時、日本で流行っていた「かぐや姫」や「オフコース」「陽水」などのフオークソングを集めたものだった。喜んだ少女はさっそくテープをかけた。マウント・ビュー・ホテルに大きく響いた「神田川」、愉快だった。
▼社会人になって、10年になろうとしたl頃、Hが「知り合いからポカラのことを聞いた」、と伝えてきた。マウント・ビュー・ホテルは健在で、あの少女は最近嫁いでいった、という。「あのテープはどうなったかな」 「ホテルで日本の歌を聞いた、そうだ」Hが答えた。 確認するためにもう一度、
訪ねなければならない・・・・そう思って十数年が過ぎた。
▼緑の森を一塵の風が吹き抜ける。頭上になびくハンカチの花が、ひらひらと漂い始める。見上げる人々から歓声があがる。それぞれが、風に漂うハンカチの花に何かを託しているように思う。
それは一塵の風とともに去っていった過去の宝石のような思い出なのかもしれない。
▼ 追伸:「大丈夫ですか。最近、プライバシーをさらしすぎていませんか」 心配して声をかけてくれたY君へ。 一年という周期の中ではこんな時もあるのだと思って勘弁してください。風に舞う白いハンカチの花に乗せて、きょうは「ヒマラヤのカセットテープ」のことをぼんやり思い出していました。
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