<最終更新日時:

 道草 「君の成人式  (上)」                         2003年  1月13日

 

一昨年の早春、南房総半島を旅した義父と義母から
芳香を漂わせたストックの花束が送られてきた。その淡く清楚な佇まいに感心し、ベランダに持出してシャッターを押した。
▼仕事に託けて、家庭を振り返ることの少ないまま20数年が過ぎた。その間、妻は3人の子供を育て、義父と義母が妻を支えた。
▼1年前、父親がわりに子供たちを可愛がってくれた義父が肺炎を患った。その日、仕事の区切りがついたということで、病室を訪ねた。午後3時、義父は酸素マスクをつけ苦闘していた。今しがたトイレに立ち上がったのが悪かったのか急に容態が悪くなったという。ベットの手すりを握りしめ、壮絶な格闘がつづいた。
▼4時近くになった。ベットの横に置かれたテレビが「青年の主張」を映し出している。その日は成人式だった。喘ぎながらも義父はテレビを観たがった。4時になれば大相撲が始まる。これを楽しみににていた。郷土出身の幕下力士の取り組みを観ることになっていた。しかし、テレビのある方向へ寝返りもうてなくなっていた。それでもテレビを観ることに義父はこだわった。テレビを見て過ごす、自分の日常をしっかりと握っていたい、そういう意志が強く伝わってきた。ベットの右側にあったテレビを反対側に移動した。4時になった。しかし大相撲は始まらなかった。シンガポールを訪問中の首相の緊急記者会見が始まったからだ。いつもの時間が狂いはじめた。
▼呼吸はどんどん苦しくなる。看護婦がさかんに個室にうつるようにすすめる。このままでは夜になっても帰るわけにはいかない、つきっきりで看病したい、そのためには大部屋を出て個室に移ってほしい、義弟の説得にようやく義父は承諾した。看護婦達は、その合図を受けると、驚くほどのスピードでベットを動かしはじめた。それは一見、てきぱきとした動きにみえるが、今の義父は、御盆にひかれた水のようだ、あまりにもぞんざいな扱いのように見えた。「もっとゆっくり、ゆっくり」ベットを押さえスピードを制御しようとした。その途中、義父の容態は最悪になった。なんとか必死で酸素を吸おうとするが叶わなかった。それでも諦めずに格闘する、その強い意思が強烈に伝わってきた。ひたすら体を摩りながら祈るしかなかった。義弟が叫んだ。「おやじ、まだやりたいことがあるんだよな。生きたいんだよな。」「おやじは生きたいんだ。」 懸命に生き抜こうとする意志が息子に強く伝えられた。あの緊迫の時間と空間の中に、凝縮された何かがあった。吉本隆明の言葉だったか・・・"人はその生涯を終える直前、生涯を賭けた最大の戦いをしなければならない、しかもその生涯を賭けた戦いは自分が勝つ見込みはまったくなく必ず負ける戦いである。それでも人はその戦いに挑まなければならない”・・・
▼あの壮絶な場面は今も鮮明に思い出せる。一生、忘れることはないだろう。そこに居合わせたものは、義父から「生きぬいく」ことの荘厳さを確かに受け継いだ。
                          
トップページにもどります