道草 「時間どろぼう」 2003年7月31日
▼ 咲き始めのヒマワリはゆっくりと太陽を追って回り、陽がしずむとそれぞれがうな垂れたように首をさげる。太陽と連動した体内時計を律儀に刻みながら植物は花を咲かせしぼませ、また花を開く。夏はそんな植物と時間の関係について思い知らされる。
▼瀬戸内海の郷里に住む姪がこんな話をしてくれた。東京に本部を持つショッピングセンターが町にある。テナントには町の商店が入っている。その中の靴屋で姪はアルバイトしているのが、最近、このショッピングセンターの営業時間を深夜まで延長するというお達しが東京の本部からあったそうだ。従業員の勤務時間は23時までになる。今、人口10万ほどの町のあちこちに東京と同じような不夜城が煌々と光りを放ち始めている。
▼30年近く前、妻をはじめて連れて郷里に戻った。駅から実家に続く道を歩きながら、その暗さを妻が驚き怖がった。 「 夜は暗いものだ、東京が異常なんだ・・」そういきがって見せた。
▼どこの町でもそうであったように、商店街の店々はそれぞれ勝手に自分たちのペースで動いていた。夏、夕方になると店の前で水をまく店主たちが現れ、7時をまわるとシャッターを下ろす音がそこここに響く・・・・・・そんなゆたっりとした商店街はいまや姿を消し、のどかな時のある風景も消えた。
▼いつから郷里の商店街は、気ぜわしい流れに巻き込まれていったのか。80年代、日米構造協議で、既得権を保護する日本のシステムが批判された。その一つが大規模店舗出店規制法だった。地元の商店街を守るために大手デパートなどの出店を規制した法律だった。確かにそれは戦後復興期に出来た法律で、高度成長を達成した後、整理する時期にきていた。当時、東京から見ていて、この地元の既得権を保護する法律はやめて、自由な競争を地方にも導入した方が消費者のためにはいいと思った。しかしその後、大店法が改正され、町に大手資本のショッピングセンターが聳えたち、商店街がそのフロアの中に呑み込まれ、かつての商店街に閑古鳥がなき、あの時のある風景が消えていくのを目撃すると、果たしてそれでよかったのか、複雑な気持ちになったものだ。
▼そして今、巨大ショッピングセンターの中に不況の嵐が吹き荒れている。不良債権にまみれた大手スーパーが売り上げ増強、店舗再建の切り札としてはじめてのが、セブンイレブン並の24時間営業、コンピュータによる徹底した在庫管理・・・・その大手に引っ張られかのように中小のスーパーやショッピングセンターも深夜営業を始めている。かつて商店街で効率は悪かったかもしれないが、自分のペースで店舗を構えていた店主たちは、今、ショッピングセンターの中で
東京並みの長時間労働、コンピュータ管理の時空の中に放り込まれている。
▼薦められて「窒息するオフイス 〜仕事に強迫されるアメリカ人〜 」(岩波書店)を読み始めた。そこには徹底した効率主義、株価至上主義、消費者至上主義のアメリカで、ホワイトカラーが長時間労働を強いられ、まさに窒息寸前である様子が詳細に報告されている。バブルの中で日本はその会社第一主義の労働スタイルを日米構造協議などの場でアメリカから徹底して攻撃された。「なぜ日本人はそんなに働くのか?なぜもっと個人の生活を大切にしないのか?」とUSTRは激しく詰め寄ったものだ。だからバブルが崩壊した後、日本はアメリカン・スタンダードを目指した。アメリカ人の暮らしはゆとりがあり家庭生活も職業生活も、日本人よりはるかにゆたかでいいものとされた。
しかし、皮肉なことに当のアメリカはその後自らITバブルにまみれ、日本人以上の会社至上主義、働きすぎ症候群に陥っていたのだ。
▼アメリカンスタンダードの象徴がセブンイレブンのような不夜城店舗であろう。アメリカのオフイスで働く人々の悲痛な報告を読むと、そのアメリカン・スタンダードを無批判に導入する日本の姿がいかに危ういかがわかる。この本の背表紙にもなっている米企業の広告記事 「もちろん、休みはとりますよ。昼休みという休みをね。しかし、会社にソフトボールチームはありません。あれば生産性が0.56%下がってしまうからです。」 こうした効率優先、業績第一主義のスタイルの末路が、ITバブルの崩壊であった。
▼かつて父母の書店のあった郷里の商店街もほとんどがシャッターを下ろした。この通りが姿を消すのも時間の問題だろう。ショッピングセンターに入った店主たちがアメリカ仕込みの時間の中に埋没していく様子を聞きながら、思い出すのはミヒェエル・エンゲの「モモ」である。時間どろぼうに盗まれた時間を取り戻してくれるモモはどこにいるのか?いつ現れるのか?
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