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 道草 「快復の兆し」  2003年8月7日

 ツユクサ(露草) / 道端にはえる一年草。別名アオバナ(青花)、ボウシバナ(帽子花)
夏、日の出とともに咲き、昼にはしぼむ。花の青汁は、友禅の下絵描きなどの染料に用いられる。花弁は3枚ですが、上方の2枚は大きく青い。
 雄しべは6本、上方の3本は、花糸が短く、目立つ黄色の「π」字形の葯をもち昆虫の目を引く役目を果たす。下方には、長い花糸で楕円形の葯をもつ雄しべが2本あり、雌しべとほぼ同じ。最後の1本は中間の位置にあり「人」字形の葯をもつ。
花言葉は、小夜曲・尊敬・わずかな楽しみ。


▼深い闇の病室で、貴方の荒い息遣いが研ぎ澄まされた刃物のように
私という存在を突き破る。巻きついて離れない痰という凶器。それを払いのけようと繰り出すたった一つの咳が、切り取られた腹の奥を雄たけびとなって突き抜ける。手術を終えて二日目の貴方は地獄の淵で彷徨い無数の幻影と悪夢の嵐の中で身悶えている。そのいつ終わるともない壮絶な格闘を横で凝視しながら、息子である私は何もできずにうろたえている。あなたの苦痛が私という存在をかくも鋭く切り裂くのは、これこそ遺伝子の連鎖なのか、それとも宙を走る喘ぎがつくりだすゆらぎのせいなのか。

▼闇の中で貴方の右腕がいきなり上がる。指先が宙に向かってしきりに何かを弾きはじめた。今、貴方はどんな幻影の中にいるのか。父に呼びかけることもせず、息子はじっとその指先を見つめる。それはかつて奉公先の酒屋で明け暮れたそろばんを弾く指先なのか、海軍の通信兵として今貴方は青島沖の駆逐艦の艦上にいるのか、戦後はじめた製パン工場、香ばしい匂いの中で一心にパンを焼いているのか、それとも書店の店主となって毎晩恒例の報奨券の整理にいそしんでいるのか、せわしく動くその手の周りをあなたの人生が流転している。
▼やがてバタっと手が降り、再び激しい喘ぎが始まる。痛いのだ。やるせないのだ。どこに身をおけばいいのかわからないのだ。それはだれも手をかすことのできない孤独な戦闘だ。

▼どれだけ時間が過ぎたのだろうか。ようやくカーテンの奥から薄明かりがさしはじめる。
 手術前に父が発した疑問符 「わしはどこへいくんかのお?」 
大丈夫だ父さん、もうすぐ夜が明ける。
▼そっと病室を抜け出し、裏山に向かった。
久しぶりの故郷の朝、ふと見ると山道の入り口で、露草が朝日をいっぱいに浴びながらあちこちで耀いている。それは小さな妖精たちが楽しそうに天から次々と舞い降りてくるように見える。


ああ、なんと新鮮な朝だろう。

夏の早朝、天からの光りを一身に受けた露草の開花。
快復の兆しにちがいない。
                          2003年8月7日
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