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  道草 「次の夢」  2003年8月10日


▼ 不順な天候が続いている。今年の夏はいったいどこに行ってしまったのか。
降りしきる雨の中で鳴くセミを見た。鳴く時節を失い、ついには雨中で鳴くはめになったセミの姿は悲しくあり滑稽でもある。ものごと、タイミングを失うとこんな無様なことになることがよくある。

▼ 昨日から今朝にかけて、郷里の町並みは台風の影響で強い風に晒された。その嵐が去った朝、町の青年会議所の庭にアメリカ・デイゴの赤い花を見た。十数年前、沖縄の青年会議所から送られてきた記念樹らしい。うす曇の街に鮮やかな赤を際立たせていた。台風に晒され続ける沖縄の人々はこの紅花に元気を取り戻すきっかけを得てきたに違いない。デイゴの花言葉を「夢」としたのは賢明な選択だ。

▼新聞にこんな記事が載っていた。ニューヨークタイムズの東京特派員として初めて日系人が赴任してきた。彼はつねづね日本で異様に人気のあるテレビ番組「プロジェクト]」に興味を持っていた。高度成長期の日本人の成功物語を描いた番組がなぜあんなに高視聴率なのか?着任してすぐ、夜の酒場で若いサラリーマンに訊いてみた。「思う存分仕事に打ち込め、その努力が報われた高度成長期の彼らがうらやましい。」 その30代の日本人の答えに新任特派員は強くうたれ、直ぐに記事にした。不況の中で日本人が失ったものは富よりも夢なのかもしれない・・・・その記事を読みながら、そろそろ、日本人も「夢が消えた、夢がない」と嘆き時間を空費するステージを卒業しないとな、と思う。目をあげて見渡せば、すっかり荒れ果てた焼け野にも鮮やかな紅い花が一輪あるかもしれない。いま次の「夢」へのきっかけをつかまなければ、またタイミングを逸してしまう・・・・・
▼「おーい、帰っていたんか。」 カメラを持ってぶらぶら郷里の街中を歩いていると、後ろから声をかけられた。高校時代の友人Fだった。野球部のピッチャーとして甲子園出場の夢を追っていた。大学卒業後、プロの誘いもあったのだが郷里に帰って市役所に勤務し、今も野球をつづけている。自転車に乗ったFはユニフオーム姿だった。「野球か?」 「少年野球のコーチやってるんだ。」 相変わらずさわやかで、野球への情熱が今も少しもぶれていないのがわかった。Fのような男が市長にでもなって、バブルの嵐の後始末もできずいまだ荒れ果てたままのこの街を建て直してくれないものか、とふと思う。
▼沖縄から送られ郷里の青年会議所の庭で鮮やかな紅花を咲かせたデイゴ、花言葉は「夢」、そしてもうひとつ「童心」である。

                                       『島唄』

      デイゴの花が咲き 風を呼び 嵐が来た        デイゴが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た

        くり返すくぬ哀(あわ)り 島渡る波ぬぐぅとぅ

        ウージの森であなたと出会い                    ウージの下で千代にさよなら

        島唄ぐゎ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ    島唄ぐゎ 風に乗り 届けてたぼれ 


         わんくぬ涙(なだ)ぐゎ


                          2003年8月10日
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