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   道草 「星祭」   2003年8月27日

タマスダレ(玉簾)/ ヒガンバナ科タマスダレ属。学名はゼフィランサス。西半球の暖地に広く自生する。どんなところでもよく育ち常緑性で一年中、葉が茂り、7月〜10月白い花を次々に咲かせる。南米のペルーが原産地で、19世紀初頭にヨーロッパにわたり明治初年1870年に日本に渡来した。
花言葉は潔白な愛。

▼ 特に手入れもしない我が家のベランダに今年もタマスダレが次々と可憐な白い花を咲かせている。何もしないのに咲いてくれる様を見ると、うしろめたい気持ちにもなる。庭の片隅や敷石沿い、タマスダレはどこにでもその「潔白な」姿を見せ,ペルーが原産地とは思えないほど日本の風景に自然に溶け込んでいる。

▼タマスダレのある風景の中で、一番好きなのは田んぼの畦道の緑の中に点在する白い姿だ。まるで星屑のようだと思う。
▼私の伯父は高木迎雲という俳号を持つ俳人だった。長身で渋みのあるマスク、寡黙ではあったがその低い声は男臭い。静かに酒を飲む姿が絵になった。趣味が多く若い頃はアマチュア無線、会社勤めを始めてからは写真、弓道、釣り、・・・それぞれが一級の腕前であった。俳句はその中でも最も秀でて、編み出される秀作の数々は、俳人としての確かな風貌を見せていた。。
▼17年前の夏、伯父は末期の癌と闘い、敗れた。死後、高木迎雲句集が編まれた。
  ◇ 島貧し 力の限り田掻牛    ◇ 蚊帳照らす 島の月光山の端に
  ◇ 麦笛を吹けば旅愁の豊後かな ◇ ちろろ鳴く 家のどこかに夜がきて

  ◇ 露草の 藍よりいでしひかりかな ◇ 野遊びの土産は重し夕日かな
▼ 俳人としての情念は死を前にした数ヶ月にいよいよ凝集された。入院中に巡る思いを手帳に書きとめた。

 病状の良い時に生まれた明るい句ーーー  
◇ 爽やかに目覚めて時を刻む音

◇ 枝豆の一つぶ一つぶ癒兆す

◇ 梅雨雲や湧きくる力いづこより

 
絶望と恐怖の壮絶な闘いの中でーーー
  ◇ 病臥日々身の六尺に梅雨ながし ◇ 熊蝉や 火炎地獄にいるごとし

 
はげしい希望と絶望の振幅はやがて深い境地に向っていく。
  ◇ 遍路道 行くが如くに夏に入る  

▼ その夏、伯父は伯母が看護婦として勤める病院に入っていた。毎日夕刻になると、伯母が勤務を終えて病室に来るのが一番の安心であった。七夕の日、病床で迎雲はこんな句を詠んだ。
             ◇ ささやかに 飾る病棟星祭
 苦痛と絶望の淵で、こんなに優しげな句が浮かぶ伯父の精神は驚嘆に値する。そして、もうひとつ手帳の中にこんな句を遺していた。
             ◇ 星祭る 今宵逢瀬の刻迫る
 
この句は、もちろん七夕の伝説、牽牛と織姫の一年一度の逢瀬をうたったものだが、その一方で毎夕、病室に来る伯母を待ちわびる思いと重なる。句集の編者の一人、岸原清行氏はこう評している。「この句には余命を既に意識した迎雲さんの、奥さんへの切迫した思いを重ね合わせて読み取ることができ、この上なくかなしく美しい一句である。」 この句が高木迎雲の最期の一句となった。死後、編まれた追悼句集の名前は「星祭」とされた。

▼ 星祭のころ、青緑の田んぼに沿って点在する小さな白い花、タマスダレ。潔白の愛を花言葉に持つ、この花の風情は、伯父・高木迎雲の最期の一句によく似合う。
昭和59年の8月27日、伯父は55歳で逝った。

                          2003年8月27日
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