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  道草  「秋の清風 」 
              2003年10月30日

▼街の空き地で、公園の片隅で、さりげない路傍で、コスモスの群生がそろって風にゆれている。ここちよく吹く秋風が揺れるコスモスの姿となって目の前を通り過ぎてゆく。ああ、なんとさやかな風だろう。


▼今朝の地下鉄光が丘駅はなぜか異常に混雑していた。自動切符売り場の前にも長い列ができていた。それだけでいらいらしてしまうのは年のせいだろうか。前に並ぶ女子高生、その茶髪を見るだけで不愉快になる。なぜこんなに皆がそろって髪を染めるのだろうか。確かに皆が同じ黒髪の日本人は画一的な秩序に縛られているようで窮屈だ。個性的に生きたい、最初はそんな希求から髪を染めはじめたのだろう。しかしすぐにそれが伝播し皆が髪を染めた。そして皮肉なことにもう一つの画一的な風景が生まれた。朝、雑踏で見る髪を染めた高校生の一群は、そろって黒っぽい背広を着た猫背のサラリーマンの集団と同じようにみえる。
▼私の前に並ぶ茶髪の女子高生、彼女の前に並ぶ白髪の紳士が先ほどから料金表を見上げたまま動かない。この忙しい時に何をしているのだろう。後ろには長い行列ができているというのに。また苛立ちが押し寄せてきた。と、その時、茶髪が白髪に向って声を発した。「あのお」
▼「おやじー、なにやってんだよ。ダッセーナー。ムカツクー」 とでも切り出すにちがいないと思った。その気持ちはよくわかる。こっちもイライラしていた。ところが予想に全く反した言葉を茶髪は発した。
▼「あのお、どちらまで行かれるのですか。」 澄んだ声だった。白髪は料金表を見上げたまま「曙橋」と応えた。すると茶髪も白髪と一緒になって料金表を辿り始めた。沈黙があった。白髪があきらめようとした時、茶髪の女子高生が「あった。」と声を上げる。「310円です。」

▼白髪はゆっくりと「ありがとうございます。」と言い女子高生に頭を下げる。それに対して少女は「いえいえ、どういたしまして。」と返した。美しい日本語だった。
▼短い時間だったが、二人のさりげなく、しっかりとした会話に感動した。と同時に、まったく反対のあらぬ言葉を想像していた自分が恥ずかしくなった。 





▼「ありがとうございました。」「いえいえ、どういたしまして」 美しい会話を交わした二人はそれぞれ雑踏の彼方に消えていく。ああ、秋に吹く清風のようだと思う。苛立つ気持ちは消えていた。たったあれだけの言葉のやりとりが、豊かな気持ちにかえてくれた。

おまえの心が 明るい花の 
ひとむれのやうに いつも
めざめた僕の心に はなしかける
《ひとときの朝の この澄んだ空 青い空
傷ついた 僕の心から
棘を抜いてくれたのは おまへの心の
あどけない ほほえみだ そして
他愛もない おまへの心の おしゃべりだ

ああ 風が吹いている 涼しい風だ
草や 木の葉や せせらぎが
こたへるやうに ざわめいている     あたらしく すべては 生まれた!
                          露がこぼれて かわいて行くとき
                         小鳥が 蝶が 昼に高く舞い上がる                                 
                                   立原道造「優しき歌 Y 朝に」

                          2003年10月30日
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