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  道草 「椿と山茶花」  2003年 1月21日

 
▼「こんなところに山茶花があったのか」 いつもの冬の散歩道で意外にもはじめて山茶花の一輪に出会った。ほんのりとした淡紅色の花は控えめだが、はっとする清楚な佇まいがある。なぜ、いままで気づかなかったのだろう、と不思議でならない。

▼喫茶店でコーヒーを啜りながら、学生時代の友人SはY先輩について語り始めた。「覚えてるか、あの頃、先輩がぞっこんだった女子学生がいただろ。気が強くて理屈っぽくて、ものすごい激情の持ち主で、その気分の起伏の激しさに僕らはまったくついていけなかった。そんな彼女の小言を一々聞き、悩みの相談に親身になって乗っていた先輩のけなげな姿はきのうのことのようにはっきり覚えている。」 
▼Y先輩は、その理知的な女子学生と共に学生運動の先頭に立っていた。いや、正確にいうと、先頭に立っていたのは彼女のほうで、先輩は横でヤキモキしながら世話をする役割を演じていた。我々が入学した年は、キャンパスにバリケードが張られ授業が中止になった最後の年だった。運動も2,3年前の勢いを失い、我々ノンポリの学生は授業が休講なのをいいことに雀荘に通いつめていた。そんな白けた空気の中で気丈な女子学生はビラ配りをつづけ、その横にはいつもY先輩がいた。
▼ある時、校舎の片隅でノコギリの音をを響かせ、夢中にになってなにやら作るY先輩がいた。それを見てSがささやいた。一緒に活動していた彼女が忽然と姿を消したらしい、彼女は留学したらしい・・・。その時Y先輩が作っていたのは大きなドアだった。後に美術展に展示されたドアには雲と青空が塗りこめられていた。そして、まんなかに大きな穴が開いていた。穴は女性の体の輪郭に形どられていた。
▼その後、Y先輩は大手出版社に入り、編集者として活躍してきた。卒業して何年か後、先輩に会った。熱く日本の経済動向を語る先輩を見ながら、改めて全共闘世代の変わり身の早さに驚いたものだ。
▼この日、Sが語ったY先輩の近況 「最近、先輩は新進気鋭の女性作家に首っ丈だ。その彼女、美人だが気性が激しく自分中心に周りが動かないと気がすまない。そんなナルシスに皆は辟易しているのだが、先輩だけは親身になって付き合える。彼女も先輩にしか心を開けない。その持ちつ持たれつの関係で次々とヒット作を世に出している。献身的に尽くす先輩の姿が目に浮かぶようだ・・学生時代を思い出さないか・」
▼時代の先頭を疾走する聡明で激情の女性達、そんな彼女たちにエールを送りながら懸命に併走する先輩の姿、そのひたむきさがうらやましくもある。「俺たちには、先輩のように献身的に尽くす優しさはないなあ。自分中心で勝手きままをしている間に、女房のことも見えなくなっている。」 友人の呟きに、同じく不精な自分も頷かざるをえない。

▼ 冬の公園で深紅の花を咲かせ、どさっと一瞬にして枯れ落ちる壮絶なヤブ椿の美しさ、その横で山茶花はほんのりと花を薄紅色に染めながら咲き、はらはらと散っていく。
 それぞれの美しさの形を受け入れ、ゆったりとした愛情をそそげる技量がほしいものだが、まだまだ修行が足りないようだ。
                          
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