K・N氏からの便り
        ジャズの話をしよう @    
                2006年9月3日             

          “Now he sings,now he sobs

           歌っているかと思うと、すすり泣く。

◇東京ジャズ
 2006の話を
 しよう。

今年で5回目を迎える東京ジャズを初めて聴きに行く。今まで、興味がなかったわけではない。2年前、NHKの番組「スタジオパークからこんにちは」に出演したハービー・ハンコックそしてウェイン・ショーターの演奏を目の当たりにしながらも、足を運ばなかった。訳は何もない。
◇今年、行こうかという気になったのは、大学に入り、総合的に芸術を極めようとしている映画監督志望の長男に本物を聴かせたいという気持ちと、私と同様に人生を重ねながらもサブカルチュアー含め、創造的なものにあくなき興味を抱き続けているYさんと共に聴くことが出来ればご機嫌ではないかと思っただけである。
お目当てはチック・コリア

Now he sings,now he sobs1968年録音のチック・コリア初期の代表作品である。


当時、高校生であったわたしはジャズに出会い、数多くの演奏に感銘を受けた。その中でもマイルス・デイビスは私の心を大きく揺さぶった。マイルスを聴くうち、マイルス門下生と称される多くのミュージシャンと出会うこととなる。チックもその一人だ。初めて聴いたチックのリーダーアルバムが
”Now he sings,now he sobs”である。

毎日、務めのようにレコードに針を落としては聴き入った。

◇当時、新進気鋭の、天才ベーシスト、ミロスラフ・ヴィトウス、そしてジョン・コルトレーンとの競演でも知られるロイ・へインズに支えられて、彼は聴くものに自己の想いを提示している。3人が皆、即興演奏家として妥協なく、それぞれがそれぞれに対峙し自己表現を通じて、結果トリオとしての音を構築している。どの演奏にもリーダー、チックの明るさ、創造していることへの喜び、全編を支配するリリシズムが溢れている。そしてなによりもみずみずしい感性が私を魅了した。当時、チック・コリア、28歳。

◇今回、チックがノルウェイーのビッグ・バンド、トロンハイム・ジャズ・オーケストラと演奏した曲の中から、“マトリックス”を耳にしたとき、私はその曲をカバーした”Now he sings, now he sobs”に思いが至り、今再びこのアルバムに手を伸ばしている。あらためてチックの詩に想いを巡らす。”Clinging to BeautyClinging to Ugliness Depending on Love and Lovinig; Lingering with hate and hating Rejoing to high heaven;then sad unto death Now he singsnow he sobs Now he beats the drums;now he stops.

92日夜、東京国際フォーラム。
そこに集った人々
4700名余り。ジャズのコンサートとしては異例だろうか。ともあれピアノの夕べとなったこの夜、私は4人のアーティストと出会う。

オーステイン・ペラルタ。15歳。

テクニックは素晴らしい。みずみずしい感性がチックと重なり魅了される。若者ならではの危うさの中に潜む美しさ、若いということはそれだけで残酷だ。という感慨を思い起こさせる。

スピード、ドライブ感、そして何よりも根底にあるリリシズム。初めて接する彼の演奏の中にバッド・パウエル以来、ビル・エバンスを経てハービー・ハンコックそしてチック・コリアらに継承されてきた伝統を感じた。10年後でも25歳。チックがデビューした年にも等しい。隣で聴いていた息子の一言が印象的だ。「まるで、刀を持って、ピアノに、向かっているようだ。僕もギターをもっと練習しないと。」刀はともかくプロのミュージシャンに対してそんなことを言う息子に対して思わず笑ってしまった。と同時に、率直な感想にはっとする。確かに音の一粒一粒、フレーズの一つ一つに、刃物のような輝きを見出した。誰しもにあったであろう15歳に思いは巡る。

◇そして上原ひろみ
MCで披露した言葉が、刻まれる。“2年ぶりの東京ジャズだが、その間、世界各地で演奏をしてきた。あるときにはステージに立ってみたらそこにはピアノがなかった。”彼女の音楽の伝道師ぶりが想像できる。世界各地で演奏活動を繰り広げてきた彼女ならではの音楽が想像できる。定評のあるパワーフルな演奏、シンセサイザーを通じ、表現しようとしているサムシングなどなど、創造性に対するあくなきチャレンジ精神、かつて日本のジャズシーンを切り開こうと一人アメリカに向かった大いなる先輩、秋吉敏子に思いは及ぶ。同胞の将来に幸あれと願わざるをえない。

◇その後、登場したのが伝説のピアニストとも言えるハンク・ジョーンズ。

88歳の彼は今なお、スウィングし続けている。披露したのはスタンダードの数々。リラックスして聴くことが出来る。音の先に聴こえてくるであろう未来の音に何の不安もない。無駄のないジャズの響きが、約束のように私の心の中に共鳴する。予定調和は悪いことではない。あの、チャーリー・パーカーと競演したミュージシャンなのだから、ハンクはそれだけで素晴らしい。印象的だったのは、最後に演奏をした“ブルー・モンク”セロニアス・モンクの曲は、限られたミュージシャンにしか演奏できない。といまでも思っている。それはモンクという稀有なミュージシャン以外、彼の世界を判りえるものはいないのではないかという思い込み、そして何よりも私の最大のアイドル、マイルスが演奏したモンクの名曲、ラウンド・アバウト・ミッドナイト“の鮮烈な印象。しかし、ハンクの演奏はそんな私の思いとは裏腹に、淡々と演奏しその音が私の心の中にモンクの世界として響き渡った。今となってはモンクは過去の録音そして映像でしか、伺い知ることが出来ない。映像として記憶に残るのは、1958年のニューポートジャズフェステバル。それこそ修道僧が被る帽子姿で現れたモンクが思い出される。今や伝説となったジャズの巨匠、モンクの世界がハンクの演奏を通じて私の心に響く。

◇ふたたび、チックの話をしよう。彼はNow he sings now he sobsを含め、1960年代後半から70年代前半にかけて数々の作品を世に問うた。ジャズシーンの先端を歩み続けた。極めて難解とも思える演奏やリリシズムあふれる作品の数々。与えられた宿題のように私は聴いた。そしてある日、出会ったのが“リターン・トゥ・フォー・エヴァーである。1972年秋、難解ながらもそれまで聴きなじんできたチックの音とは違うギャップを感じた。これがジャズなのか。チックはフェンダーロードスのエレクトリックピアノしか手にしていない。単調なリズム(リズムはそういうものなのだろうが。)判りやすいメロデイー。(なんでそれ自体疑問に思うのか。)当時、賛否両論のあったアルバムである。私は混乱した。どうしてあのチックがこのような音楽を表現したのか。あまりの表現方法の違いに困惑した。チックに一貫性を見出だす事は出来なかった。それは今日まで続いていたのだ。

◇2006年の今日、チックと競演をしたトロンハイム・ジャズ・オーケストラは初めて、耳にするミュージシャン達である。ノルウエーのビッグ・バンド以外、何の情報もない。予備知識もなくコンサートに臨むということも新鮮な思いだ。が、ヨーロッパのバンドという思い込みどおり、しばらくはなんのスィング感も感じられない。スィングがなければ、意味がないと言ったのはデユーク・エリントンだ。それにしても、心の高揚をみない。そんな想いに駆られながら彼らの音に身を任せ聴き続けると、響いてくるのはチックのピアノ。テーマの断片。イメージの提示。軽やかに変化するリズム。すべてが総合的にあいまって広がるチックの世界。チックの名曲、クリスタル・サイレンス、マトリックス、そしてスペイン。そこに展開されているのは、かつてのチックの世界そのもの。彼の持つ、ラテンの血、そして燦燦と降り注ぐ太陽。そしてなによりも一貫して流れるリリカルな響き。トロンハイム・ジャズ・オーケストラは彼の世界の素材なっている。その演奏を聴きながらリターン・トゥ・フォーエヴァーも、ジャズそのものと気づく。振り返りいまさらながら聴きこむとジャズ以外のなにものでもない。“Now he sings, now he sobs”以来、一貫してぶれていないチック・コリアの音楽がある。そしてそこにあるのは“スゥイング”その一文字である。マイルスの高弟は、エリントン以来の、スィング“を常に継承して来た。スリング”を忘れてはいなかった。そして私は30数年かけてそんな単純な事に気づく。

◇鬼才、エリック・ドルフィーが、かつて自己の創造活動を永遠に終えることになる際、くぐもった声で言い放った言葉が録音されている。有名な次の言葉が頭をよぎる。”When you hear music after it’s over it’s gone in the air. You can never capture it again.”

この夜、聴いた音の数々が私の体をそして心を通じ、散らばっていく。残響が心地よく残る。

帰宅後、息子はギターに向かったようだ。Yさんは何かしらのジャズを聴いていることと思う。私はやはりチックに思いを寄せる。初めて出会ってから35年余り、さまざまな記憶が胸に去来する。そして手に取っていたアルバムはNow he sings, now he sobs” 歌うと思えば、すすり泣く。この言葉を何度となく、口ずさむ。

ジャズの世界に浸り、聴き続けて来てよかった。

                         

2006年9月3日